「Aunty Sudha Aunty Radha」は、「Sur: The Melody of Life」(2002年)、「Qarib Qarib Single」(2017年)などで知られるタヌジャー・チャンドラーが撮ったドキュメンタリー映画だ。タヌジャーの母親は「1942: A Love Story」(1994年)などの脚本家カームナー・チャンドラーで、兄は作家のヴィクラム・チャンドラー、姉は映画評論家でヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーの妻アヌパマー・チョープラーであり、文芸に秀でた一家出身である。そのタヌジャー監督が、父の妹にあたる93歳のラーダー叔母さんと86歳のスダー叔母さんを被写体にして撮ったのがこの「Aunty Sudha Aunty Radha」である。2019年8月13日にマドリード国際映画祭でプレミア上映され、インドでも同年のムンバイー映画祭で上映されている。アジアンドキュメンタリーズでは「スダさん ラダさん」の邦題と共に配信されている。
ラーダー叔母さんとスダー叔母さんは、ウッタル・プラデーシュ州ハートラス県のレヘラーという小さな町に一緒に住んでいる。この地域は、クリシュナ神話(参照)発祥の地であるブラジ地方に位置していると考えることもできる。それぞれ結婚して別々の人生を歩んできたが、ある時点から叔父が遺してくれたレヘラーの屋敷に一緒に住み始め、今に至るようだ。タヌジャー監督は再三にわたって叔母たちに遊びに来るように誘われていたが、日々の雑事に忙殺されてなかなか行けなかった。だが、ある日、そんなにしつこく誘ってくれるなら一度行ってみようという気になり、彼女たちを訪ねた。その様子をカメラに収めただけの映画だ。
まず、純粋にラーダー叔母さんとスダー叔母さんのキャラクターが立っていて、彼女たちの会話が面白い。どちらも偏屈そうなのだが、可愛いところもあり、しかもお互いに性格が真逆ということもあって、時々衝突もする。そんな日常の様子をじっと映し出している。
年齢ではスダー叔母さんの方が9歳年下になるのだが、映画の題名ではスダー叔母さんの名前の方が先に来ている。どうも家の中ではスダー叔母さんの方が弁が立ち、支配的な立場にいるようで、その力関係がこの題名に反映されているのかもしれない。
さらに、昔からの地主家系ということで、彼らの家には、代々仕えてきた使用人たちも複数人いる。現代において封建主義的な人間関係が未だに維持されている。ただ、この映画はそれを決して批判的に捉えているわけではない。逆に、そのような人間関係を賞賛している。人々は好きでラーダー叔母さんとスダー叔母さんの家に集い、彼女たちに奉仕をしている。簡単には彼らの人間関係を理解するのは難しい。どうもこの地域には高齢者を神様と同等に敬う文化が根付いているようで、そういうこともあって使用人たちは献身的に二人に仕えているという理由もあるようだ。ただ、映画を観ていると、結局は主人と使用人の間に家族のような愛情が芽生えていることが分かる。使用人たちは朝早く来て仕事をし、なるべく夜遅くまで屋敷にいようとする。彼らの間には笑顔が絶えず、楽しんで仕事をしている。彼らの笑顔はとてもやらせとは思えない。庶民の日常から封建制度が一掃されてしまった日本ではもはやほとんど見られなくなった、愛情で結ばれた主従関係を目の当たりにすることができる。
また、驚いたのだが、ラーダー叔母さんとスダー叔母さんは、使用人たちに自分の農地を分け与えている。そこで収穫された作物はもちろん持ち主のものになる。この辺りも封建制度そのものだ。使用人たちが何の憂いもなく二人に仕えるのには、こういう経済的な見返りという理由も当然のことながらあるだろう。
映画が終わりに近付くにつれて、死に関する会話が増えてきて嫌な予感がしてくるのだが、少なくとも映画の中では、ラーダー叔母さんとスダー叔母さんは最後まで存命である。タヌジャー監督が束の間の滞在を終えて屋敷を去るところで映画は終幕となる。
こういう封建的な主従関係はインドではまだ目にする。インドに来たことがない人に、こういう関係があるということを理解してもらうのは困難なのだが、もしかしたらこの映画を観ることで、少しは納得がいくかもしれない。
「Aunty Sudha Aunty Radha」は、地主家系の叔母とのやり取りを通して、インドにまだかろうじて残っている封建制度的な人間関係を愛情をもって浮き上がらせた心温まるドキュメンタリー映画である。インドを知る上でとても参考になる作品だ。