スペイン人監督ノセム・コラードの「La mujer y el agua」、英語で「Women and Water」は、インドの水問題を扱ったドキュメンタリー映画である。2014年3月15日にテッサロニキ・ドキュメンタリー祭でプレミア上映された。アジアンドキュメンタリーズでは「女性と水 尊厳は守られるのか」という邦題と共に配信されている。
映画は4話構成になっており、それぞれのストーリーは「Birth(誕生)」、「Growth(成長)」、「Development(発展)」、そして「Death(死)」と題され、順にバーラティー、スィーマー、ナンダー、そしてラクシュミーという女性を中心的な語り手として取り上げている。
インドの特定の地域で撮影された映画ではなく、インド全土の規模で水問題を捉えようと努力がなされている。場所が明記されていない映像がほとんどだったが、「Birth」はカルナータカ州ハンピー辺り、「Growth」はラージャスターン州もしくはハリヤーナー州、「Development」はムンバイー、「Death」はタミル・ナードゥ州とウッタル・プラデーシュ州のイラーハーバードやヴァーラーナスィーなどで撮影が行われていたと予想される。登場する女性たちが話す言語も地域によって様々であった。
また、合間にはインドの水質汚染問題に関わる、知的な女性たちによる英語のインタビューも差し挟まれ、具体的な分析や対策などが話されている。
インドの、特に貧困層の人々が直面する水問題が広範に扱われていたが、大きく分けると3点に絞られる。水の不足、水の汚染、そして水の不平等である。
インドでは、家庭に水道があり、蛇口をひねれば水が出て来る家庭は少なく、人々は毎日井戸などから水を汲んでこなければならない。それは女性の仕事とされており、女性たちは一日の多くの時間を水汲み労働に費やすことになる。また、安全な水となると、さらにアクセスできる人は限られる。また、灌漑が進んでいない地域も多く、干魃が起こると農業を諦めなければならないこともある。地下水を農業用に汲み上げ続けていることから、各地で地下水位が急激に下がっている問題も指摘されていた。
川には汚水やゴミが流され、どうしようもないくらいに汚染された川がインドには数え切れないほどある。そのような川の近くには貧しい人々が住むことになるが、彼らの家にトイレなどはなく、河岸などの野外で排泄するので、さらに河川は汚染される。汚染された水はその近くに住む人々に多くの病気を引き起こす。
貧しい人々に安全な水が行き渡らない一方で、裕福な人々はボトル入りの水を購入する。民間企業は地下水を汲み上げてボトルに入れ、高価な値段で売りさばく。ますます貧しい人々に水が届かなくなる。また、カースト制度も水の不平等の原因になっている。高いカーストの人々は、自分たちが使っている井戸を、不可触民などの低いカーストの人々に使わせようとしない。もし不可触民が彼らの井戸を使おうものなら、その人は酷い目に遭う。また、その井戸は牛の尿などによって浄化されなければならなくなる。
インドでは不思議なことに、水が生活排水や工場排水によって汚染されることよりも、宗教的に汚染されることを極端に嫌がる。宗教的に浄だとされていれば、実際に汚染は気にされない。例えばガンガー(ガンジス)河は決して衛生的にきれいな河ではないが、人々は喜んでガンガー河で沐浴をする。
「La mujer y el agua」はスペイン人監督が外部からの視点でインドの水問題を扱っている映画だったが、この映画に登場する人々の発言からは、左寄りの思想を強く感じた。例えば、水は民間企業ではなく政府がコントロールすべきだとし、空気と同じように水も全国民に無料で提供することを提案していた。また、民間企業が責任を持って大規模な水質浄化のイニシアチブを取るべきだとの主張もなされていた。
映像からは正直さを感じた。見るに堪えないものもいくつか映っているのだが、一切カットなしで視聴者に赤裸々な姿を見せていた。誕生があれば死もあるし、授乳もあれば排泄もある。だが、ドキュメンタリー映画として、その正直な姿勢は信頼につながっていると感じた。
「La mujer y el agua」は、インドの水問題を4つのテーマに分けて取り上げたドキュメンタリー映画である。近年のインドの発展は目覚ましいものがあるが、その裏で、かつて日本などの先進国が経験したような公害に悩まされているし、水と宗教の問題など、インド独自の課題にも取り組む必要が生じている。そんなありのままの姿を正直に映し出した佳作である。