インド北西部グジャラート州にはカッチ大湿地と呼ばれる広大な塩性の湿地が存在する。かつてインダス文明が花開いた土地であり、中でも都市遺跡として有名なドーラーヴィーラーは、塩性湿地に囲まれた島に立地している。
この湿地ではその土地の特性を活かした塩作りが盛んのようだ。2013年11月24日にアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭でプレミア上映された「My Name Is Salt」は、カッチ大湿地で塩作りをする人々の姿を静かに追ったドキュメンタリー映画である。監督はファリーダー・パーチャー。ドキュメンタリー映画を専門とする映画監督であり、この作品はスイスからの資金援助を受けて作られた。アジアンドキュメンタリーズで「私の名は、塩」という邦題と共に配信されている。
ドイツ人撮影監督ルッツ・コナーマンの貢献なのかもしれないが、まずは映像が素晴らしい。ほとんど台詞がなく、被写体となる人物たちが淡々と作業を行っているだけの映画なのだが、映像に躍動感や意外性があって、次は何があるのかとついつい引き込まれてしまう。アップと引きの使い方も絶妙だ。アップではなかなか何をしているのかよく分からないのだが、後に引きでその作業が映し出され、何となく全貌が分かるという仕組みである。ここまで映像に力のあるドキュメンタリー映画は初めて観たかもしれない。その計算し尽くされたカメラワークにはただただ脱帽であった。
題名に「塩」という言葉があるので、何の前知識もなしに観たとしても塩に関係した映画なのだということが分かるのだが、頭ではそれが分かっていても、最初はカメラに映し出されている人々が何をしているのかよく分からないシーンが多い。
なにしろ彼らが最初に行う作業は、土の中からホースやらポンプやらを掘り出すことなのだ。確かにインド人は地中に大切な品物を埋めて隠す習慣があるが、それが塩作りとなかなか結び付かない。
ポンプが稼動し、地中から水が吸い上げられると、地上には徐々に塩田が形成されていく。ここまで来てようやく何が行われているのか合点がいく。カッチ大湿地の地中に溜まった水には多量の塩分が含まれており、それを吸い上げて天日にすると、塩の結晶ができるのだ。しかも、カッチで採れる塩は世界でももっとも純白であることで知られているらしい。おそらく価値も高いのだろう。
男性も女性も、大人も子供も、一家総出で作業をしており、微笑ましく感じる場面もある。だが、きっと厳しい生活なのだろう。一応、子供たちは、荒れ地にポツンと建つ掘っ立て小屋の学校に通って勉強をしていたが、どこまで読み書きができるようになるだろうか。やはり基本的には大切な労働力であり、親の作業を見ながら塩作りを学んでいた。
ほとんど説明もないので、何なのかよく分からないシーンもあった。例えば家族で着飾ってメーラーのような集まりに行くシーンがあったが、おそらく塩作りとは何の関係もない行事であった。彼らが祀っていた神様はバフチャラー女神であったが、その寺院はアハマダーバードの方にあり、カッチ大湿地からは距離がある。彼らは8ヶ月間塩作りをして、残りの期間は故郷で過ごすようだが、意外に遠くから来ているのかもしれない。
塩作りが終わり、塩田の塩が全て売り払われてしまうと、家族は道具類をまた地中に埋め直し、その場を去って行く。雨季になるとカッチ大湿地は海水で満たされ、また塩分が補給される。一体いつからここでこのような作業が行われているのか分からないが、塩以外に何もないこの土地で、今後も延々と同じことが繰り返されていきそうだ。
「My Name Is Salt」は、カッチ大湿地での塩作りを淡々と描いたドキュメンタリー映画である。単純作業ではあるが、最初は何をしているのかよく分からないこともあって、じっくり見入ってしまう。何より構図に意外性があって、映像の力でさらに引き込まれるものがある。映像で語ることに全力を注いだ、優れたドキュメンタリー映画である。