アジアンドキュメンタリーズで配信中の「Where to, Miss?」は、デリーでタクシー運転手をする女性のドキュメンタリー映画である。ドイツ人監督マヌエア・バスティアンの作品で、プレミア上映は2016年9月29日のレイキャビク国際映画祭だ。インドでは上映されていない。日本では2017年にTV放映されたことがあるようで、邦題は「タクシードライバーの私」である。
インドにおいてタクシーやトラックなどの自動車を運転する仕事は男性に独占されている。女性のする仕事ではない、というのが一般的な認識だ。だが、女性の社会進出が進む中、都会を中心に女性のタクシー運転手などが現れ始めている。例えばデリーには、女性運転手が運転し、乗客も女性専用のタクシーサービスが運行されており、2012年のデリー集団強姦事件後に注目を集めるようになった。同様のサービスは他の都市にも拡大しているようである。
「Where to, Miss?」の主人公デーヴキーもデリーでタクシーを運転する若い女性だ。決して裕福な家の出身ではない。18歳で結婚したが、夫の自堕落振りに耐えられず離婚し、実家に出戻っていた。父親に経済的な負担を掛けるのが嫌だったこと、そして他人とは違う仕事をしてみたかったことから、タクシー運転手の道を志したようだ。もちろん、父親からは反対されたが、それを押し切って自動車の運転免許を取り、晴れてタクシー運転手としてデビューした。
あらすじからは、女性ドライバーとしての毎日を追ったドキュメンタリー映画が想像される。だが、意外にも彼女がタクシーを運転しているシーンは少ない。むしろ、タクシー運転手として働くことを切望しているシーンが長い。
デーヴキーはタクシー運転手として働き始めた後、バドルという男性という出会い、再婚した。バドルはウッタラーカンド州ガルワール地方の生まれで、彼女は出産を機に夫の実家に住むようになった。もちろん田舎なのでタクシーなどないし、女性が外で稼ぐことはデリーの何倍も難しい。デーヴキーは、デリーに戻ってタクシー運転手をしたいと願いながら、夫の実家で悶々とした毎日を過ごす。このシーンがこの映画でもっとも力強く描かれていた部分だった。
ただ、どういう展開があったのか説明がないものの、最終的にはデーヴキーはデリーに戻り、再びタクシー運転手として働き出した。離婚をしたのか、夫や父親の理解が得られたのかは分からない。
彼女にとって、タクシー運転手は仕事以上のものだった。アイデンティティーそのものだった。生まれたときには父ハリシュチャンドラの「娘」と呼ばれ、結婚した後はバドルの「妻」と呼ばれ、出産した後は息子アーユシュの「母」と呼ばれた。彼女は生涯を通じて「デーヴキー」になれなかった。唯一、タクシーを運転しているとき、彼女は「デーヴキー」になれた。そんな彼女の内面がよく描写されたドキュメンタリー映画だった。ただ、目新しい主題ではない。
まるでフィクション映画のようにカメラが存在感をなくしており、被写体となる人物たちはほとんどカメラを気にせずに行動している。その合間に、登場人物がカメラに向かってインタビューに答え、状況についての意見を述べていた。必ずしも途切れなく時間が進むわけではなく、おそらく3回くらいに時期を分けて撮影をしているはずだ。デーヴキーがタクシー運転手になる前、タクシー運転手になってから1年後、そして出産してからの生活と、時期が分かれていた。
デーヴキーはデリーに住んでいたが、両親の元々の故郷はもっと田舎だと思われる。彼女の話すヒンディー語はデリーで都会的な生活を送る人々のものではなく、おそらくウッタル・プラデーシュ州やマディヤ・プラデーシュ州辺りのものだと思われる。一方、再婚相手バドルの故郷はガルワールで、ヒンディー語のガルワーリー方言が話されている。デーヴキーはガルワールにいるとき、人々が話すガルワーリー方言を全く理解していなかった。同じヒンディー語を話していても、方言同士は意思の疎通ができないくらいに異なることもある。
「Where to, Miss?」は、デリーでタクシー運転手をする女性を断片的に追った、ドイツ人監督によるドキュメンタリー映画である。ただし、タクシー運転手をしている時間帯は少なく、むしろタクシー運転手になるまでの苦労と、結婚後に夫の実家に押し込められてタクシー運転手復帰を切望する様子の描写に力が込められている。主題は女性のアイデンティティーという古典的なものだ。まるでフィクション映画のようにリニアに流れていくドキュメンタリー映画で、監督の才能を感じる。