アジアンドキュメンタリーズで配信されている「Powerless」は、慢性的な電力不足に悩まされるウッタル・プラデーシュ州カーンプルを舞台に、電力公社の敏腕女性官僚と盗電の常習犯である市民たちとの戦いを描いたドキュメンタリー映画である。ヒンディー語版の題名は「Katiyabaaz」で、邦題は「街角の盗電師」である。「कटियाबाज़」とは「盗電師」のことだ。プレミア上映は2013年10月6日のレインダンス映画祭である。
監督はファハド・ムスタファーとディープティー・カッカル。どちらも初めて見る名前である。インドのフュージョンバンド、インディアン・オーシャンがBGMを担当しており、音楽がとてもいい映画だ。
舞台になっているカーンプルは、英領時代には「東洋のマンチェスター」と呼ばれたほど工業が盛んな都市だったが、現在は電力不足に悩まされ、工業も衰退してしまっている。カーンプルの電力を一手に担うのはカーンプル送電公社(KESCO)だが、盗電と料金滞納により赤字になっている。新しくKESCOの社長に就任した女性官僚リトゥ・マーヘーシュワリーが改革に乗り出したところからこの映画は始まる。時は2011年から12年にかけてのことだ。
リトゥは有能かつ意識の高い官僚で、就任早々、滞納者に対し料金の支払いを求めると同時に、盗電の取り締まりに乗り出した。また、情報伝達や支払いの合理化も推進する。しかしながら、今まで盗電によって無料の電力を享受してきた市民たちからの強い反発に直面する。
その一方でカメラは、カーンプルで名の知られた盗電師(カティヤーバーズ)、ローハー・スィンの活動を捉える。ローハーは感電をものともせずに、カーンプルの路地の中空に張り巡らされた電線から違法の電線を引いて貧しい人々の家に無料の電気をもたらすロビン・フッドのような存在だった。ローハーは街中の人々から感謝されていたものの、家族は彼に冷たかった。彼のしていることは泥棒と同じだからだ。母親は彼に、もっとマシな仕事をするように勧める。ローハーは、市井の人々から浴びる尊敬と、家族から受ける圧力の狭間で苦悩する。
「Powerless」はドキュメンタリー映画ながら、まるでフィクション映画のように一本のストーリーを紡ぎ出している。特にリトゥの奮闘にはドラマ性がある。彼女はKESCOの財政を健全化し、カーンプル市民に信頼性のある電力を届けたいと願って、強い使命感から盗電や滞納の取り締まりに乗り出したが、無料の電気に慣れてしまった市民たちから反発され、その世論を政治家に利用される。
ちょうど2012年にウッタル・プラデーシュ州の州選挙があり、カーンプル選挙区では社会党(SP)のイルファーン・ソーランキーが当選する。イルファーンはそれより前にKESCOのオフィスに殴り込んでリトゥ社長を脅迫し逮捕されたことがあったが、その行動が有権者の支持を集めたのである。ウッタル・プラデーシュ州全体でもイルファーンの所属するSPが勝利し、彼は権力を手に入れた。選挙が終わると早速リトゥはKESCOの社長を解任され、異なる都市へ飛ばされた。リトゥの奮闘虚しく、カーンプルの電力事情は逆戻りしてしまった。
確かに2011年から12年頃のインドでは停電が日常茶飯事で、この映画で描写されていることに誇張はない。しかしながら、2014年の下院総選挙でインド人民党(BJP)が勝利し、「発展」を旗印にするカリスマ的政治家ナレーンドラ・モーディーが首相に就任した後、電力事情は劇的に改善されてきている。「Powerless」で描かれたインドが過去のものになる日は近いかもしれない。