2019年2月7日公開の「SP Chauhan」は、社会活動家スーラジパール・チャウハーン、通称SPチャウハーンの伝記映画である。ただし、劇中において主人公の名前はサトパール・チャウハーンと変更されている。SPチャウハーンが創立したNGOナヴ・チェートナー・マンチが製作しており、プロデューサー陣には彼の妻や娘らしき名前も見える。もちろん、とにかく主人公SPチャウハーンの偉大さが讃え上げられる内容になっており、商業映画というよりも広告映画に近い。
監督は新人のマノージ・K・ジャー。ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督の「Paan Singh Tomar」(2012年)などで助監督を務めてきた人物だ。主演はジミー・シェールギル。ヒロインはユヴィカー・チャウダリー。他に、ヤシュパール・シャルマー、バルジンダル・カウルなどが出演している。
ハリヤーナー州カルナール近郊のニグドゥー村で生まれ育ったサトパール・チャウハーン(ジミー・シェールギル)は、子供の頃から独立運動家の伝記を好み、社会悪を正そうとする活動家だった。彼は父親の飲酒を止めさせ、村から酒類を追放する運動に従事する。また、放牧地の所有権を巡って弱者の味方をし、父親と対立して家を出る。サトパールはパンチャーヤトの選挙に出馬するも敗北し、デリーに去る。デリーでは友人を頼り、やがて建築や不動産の業界に身を置くようになる。 サトパールはスィーマー(ユヴィカー・チャウダリー)と結婚し、デリーで彼女と暮らし始める。スィーマーはディープティーという女の子を産むが、病気を発症し入院する。サトパールは必死に看病するもなかなか回復しなかった。ディープティーの1歳の誕生日の日に倒れたため、緊急手術を受けて快方に向かう。 デリーでもサトパールの正義感は変わらず、不動産マフィアと対立するが一歩も引かなかった。母の死をきっかけにサトパールは教育の重要性に気付き、カルナールにアンセム・インターナショナルスクールを開校する。
映画は主人公サトパールとスィーマーの結婚式から始まる。だが、バーラート(花婿参列者)に楽隊を帯同させないなど、変わった人間であることが匂わされる。スィーマーの妊娠と出産、病気と入院など、現代のストーリーが進んでいく途中で、何度か過去の回想シーンが差し挟まれ、サトパールの人物像が次第に明らかになっていく。
「SP Chauhan」では、サトパールの世直し活動を通して、インドの様々な問題が触れられる。飲酒、持参金、選挙、不動産マフィアなどである。ひとつひとつの問題にサトパールは真摯に立ち向かっていくのだが、それはそのまま、モデルになっているSPチャウハーンの偉大さを歌い上げるためのものだった。
主人公が完全なる善人として描写されており、多少の苦難は経験するものの、強い正義感ひとつを友にして正面突破していくため、山場がない。また、サトパールの向かう先がはっきりと提示されずに映画が進んでいくので、芯もない。終わりのない自慢話をとうとうと聞かされているような気分になる。SPチャウハーンやNGOの宣伝素材としては一定の価値があるかもしれないが、娯楽映画として観たら失格である。
ただ、普段は脇役としての出演が多い俳優たちが一線で演技をしていたのは特筆すべきだ。主演のジミー・シェールギル自身が普段は脇役俳優として活躍しているが、この「SP Chauhan」のように、たまに主演をしていい演技をする。他にヒロインのユヴィカー・チャウダリーも「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)でディーピカー・パードゥコーンの代役など、脇役女優としてすっかり定着してしまったが、この映画ではメインヒロインを務めている。サトパールの父親役を演じたヤシュパール・シャルマーも悪役や裏切り者役を演じることが多いが、今回は違った側面を披露できていた。
「SP Chauhan」は、ジミー・シェールギル主演ということで目を引く伝記映画だが、伝記の主体となっているSPチャウハーン自身が創立したNGOが製作に関わっており、実のところ単なる宣伝映画である。インドの社会問題について広く浅く触れられているのは興味深いが、それらもSPチャウハーンが今まで行ってきた世直し運動と結びつけて語られているだけで深みはない。注意して観る必要のある映画である。