2019年10月25日公開のタミル語映画「Bigil」は、タミル語映画界のスーパースター、ヴィジャイの主演作である。一応、サッカーを主題にしたスポーツ映画と説明できるが、それだけでは収まらない、様々な娯楽要素やメッセージが詰まった、上質のマサーラー映画である。
監督はアトリー。まだ若手だが、「Theri」(2016年)や「Mersal」(2017年)など、ヒット作を飛ばしており、タミル語映画界で注目されている。音楽監督はARレヘマーンが務めている。
主演はヴィジャイで、一人で父と子の二役を演じる。ヒロインはナヤンターラー。悪役はヒンディー語映画界の俳優ジャッキー・シュロフが務める。他に、カティル、ヨーギー・バーブー、アルジャン・バージワーなどが出演している。また、アトリー監督とARレヘマーンが挿入歌「Singappenney」でカメオ出演している。
タミル語版を英語字幕を頼りに鑑賞した。
舞台はチェンナイ。女子サッカーのタミル・ナードゥ州代表チームでコーチをするカティル(カティル)は、デリーで開催される全国大会に出場する前に、旧友のマイケル・ラーヤッパン、通称ビギル(ヴィジャイ)に会いに行く。ビギルは地元で慕われるドンであった。ところがビギルの仇敵の襲撃を受け、カティルは瀕死の重傷を負ってしまう。奇跡的に命は助かったが、カティルが全国大会でコーチを務めることは不可能だった。女子サッカー選手たちは失望する。 実はビギルはかつてタミル・ナードゥ州を代表するサッカー選手だった。スラム街の不良少年たちにサッカーを教え、彼らをサッカー選手に育て上げた。しかし、マフィアのドンをする父親ラーヤパン(ヴィジャイ)の息子であることが災いし、代表から外されそうになる。ラーヤパンがインドサッカー協会のJKシャルマー会長(ジャッキー・シュロフ)に直談判したことによって彼はリスト入りするものの、全国大会に出場するためにデリーに向かう直前に父親が惨殺され、列車に乗り遅れてしまう。全国大会の優勝カップを勝ち取ることは父親の夢だった。 ビギルは、チームメイトだったカティルに女子サッカーチームを作るように言う。そしてあらゆる面でチームを支え続けたが、自分の名前は決して公開しないようにしていた。カティルが倒れた今、ビギルは自ら女子サッカーチームを率いて、亡き父親の夢を叶えるため、デリーに乗り込むことを決意する。また、7年前から付き合いのある理学療法士エンジェル・アーシルヴァータム(ナヤンターラー)をチームフィジオにする。 だが、カティルの大怪我の責任はビギルにあると考える選手たちは彼をコーチとして受け入れなかった。チームワークもできておらず、初戦のマニプル戦では惨敗してしまう。ビギルはコーチを辞任しようとするが、JKシャルマー会長と父親の知られざる因縁を知り、意地でもコーチを続けることにする。そして選手たちの心を勝ち取り、彼女たちに猛特訓を施す。 同時にビギルは、諸理由からサッカーを辞めてしまった有能な選手たちを引き戻す努力をする。ガーヤトリーは結婚を機に引退し、アニターは男性から顔に酸を掛けられ引きこもりになってしまっていた。ビギルとエンジェルは彼女たちを説得し、サッカーのフィールドに引き戻す。 ビギルの努力もあって、タミル・ナードゥ州代表チームは連戦連勝を重ねる。JKシャルマーの妨害も入るが、それもはねのける。そして決勝で再びマニプル州代表と対戦することになる。JKシャルマーは何としてでもビギルを敗北させようと、ヴェンブやキャプテンのテンドラルを誘拐し、ドラッグ漬けにしようとする。ヴェンブはオーバードース状態になるが、ビギルはテンドラルを何とか救い出す。 マニプル戦では3点を先取される苦しい戦いになるが、ビギルの叱咤激励が功を奏し、後半に巻き返して同点とする。PK戦ではガーヤトリーが活躍し、タミル・ナードゥ州代表は悲願の優勝をする。
かつてサッカー選手だったマフィアのドンが女子サッカーチームのコーチになって全国大会で彼女たちを優勝に導くという筋書きの映画であった。ヴィジャイ主演の映画という点には疑いがなく、彼が常においしいところを持って行くのだが、映画の主題は意外にもインドの女性が直面する様々な問題であった。
まずポイントとなるのは、主人公のビギルは、マフィアのドンの父親を持っていながら、本人はマフィア稼業に足を踏み入れていなかったことだ。ビギルは、スラム街の不良少年たちにサッカーボールを与え、サッカー選手になる夢を追わせて更生させた。父親のラーヤッパンは、そんな息子の姿を見て時代の変化を感じた。そして、ビギルを自分の跡継ぎにはせず、サッカー選手として存分にキャリアを積ませることにする。カースト制度が根強く、父親の仕事を息子が継ぐのが当たり前なインドにおいて、家業にかかわらず好きなことを突き詰める生き方を子供に選ばせる父親の在り方は、それだけで大きなメッセージになっている。
しかし、息子をサッカー選手にするという夢は実現する前に閉ざされてしまう。ラーヤッパンはライバルマフィアの襲撃により殺され、ビギルは父親の遺志に反し、サッカー選手になることを諦めてマフィアのドンを継ぐことになる。
ただ、彼は完全にサッカーから足を洗ったわけではなかった。チームメイトのカティルに女子サッカーチームを作らせ、影ながらそれを支えていたのである。彼のチームに入っていた女子選手たちは、皆貧しい家庭の出で、苦労してサッカーをしていた。そしてようやく全国大会に出場するチャンスが得られる。そんなとき、カティルが大怪我を負ってしまう。それをきっかけに、ビギルが代替のコーチに就任する。
コーチの突然の交替もあって動揺し、チームワークに亀裂が生じているチームをまとめていく過程はスポ根映画によくあるパターンである。「Bigil」で特筆すべきは、そこに女性問題を絡めていたことである。そのために用意されたキャラが、ガーヤトリーとアニターであった。
ガーヤトリーは有能なサッカー選手だったが、結婚を機に引退せざるを得なかった。嫁ぎ先は保守的な家庭で、女性が短い服を着てスポーツをすることに反対だった。ガーヤトリーが体現していたのは、女性に夢を追うことを許さないインド社会の男尊女卑性である。ガーヤトリーの夫は、父親の跡を継がず、エンジニアになって稼いでいた。彼は自分の夢を実現したが、妻には夢の実現を許さなかった。しかしながら、エンジェルに説得され、最終的に彼は妻の復帰を許す。
チームに復帰したガーヤトリーは活躍するが、決勝戦を前に妊娠が発覚する。ガーヤトリーは、妊娠を夢の終焉と捉えていた。しかしエンジェルは、妊娠第8週でオーストラリアオープンを戦い優勝したテニス選手セリーナ・ウイリアムスや、母親になってからもメダルを量産したボクシング選手メアリー・コムを例に出し、妊娠や出産は女子スポーツ選手のキャリア終了を意味しないことを訴える。
アニターは、いわゆるアシッド・アタックの被害者である。言い寄ってきた男性を拒絶したことで逆恨みされ、顔に酸を掛けられてしまう。以来、彼女は自分の焼けただれた顔を誰にも見せないようにするため、部屋に閉じこもってしまう。ビギルは、容姿は才能と関係ないこと、そしていつかは自分と向き合わなければならないことを訴え、彼女をサッカーに引き戻そうとする。また、彼女に酸を掛けた男性も捕まえてきて彼女の前に突き出すが、アニターは彼に自分の顔を見せるだけにする。アシッド・アタックを抑止するような効果はなさそうだが、被害に遭った女性たちへのエールと受け止めていいだろう。
ヴィジャイに常にスポットライトが当たっているのに、女子サッカー選手をはじめ、他のキャラも輝いているという、類い稀なバランスを実現した良作である。スポーツ映画なのにマフィア映画であるし、サッカーの試合があれば殴り合いの戦いもあり、爽快なダンスもある。そして裏には父と子の物語も隠されている。これだけ多くの要素をひとつの作品にパッケージしながら、ほとんど破綻が出ていない。敢えて欠点を挙げるならば、ビギルとエンジェルのロマンスが二の次、三の次になっていて回収されていなかったことくらいである。
ヒンディー語映画をホームグランドとする者の視点では、ヒンディー語や北インドの扱いがやはりネガティブだった。タミル語映画はヒンディー語や北インドを目の敵にしており、所々にそのヘイト感情が覗く。また、インドとしてのまとまりよりも、タミル・ナードゥ州として、またはタミル人としての団結を訴える映画になっていた点も、タミル語映画特有のローカリズムといっていいだろう。
劇中ではそれほど強調されていなかったが、ビギルをはじめとしたスラム街に住む人々は不可触民である可能性が高い。「マイケル」という名前も、普通に考えたらキリスト教徒のものだが、不可触民の中にはキリスト教徒に改宗した人が多い。
ARレヘマーンによる音楽はどれもエネルギーに満ちており、ヴィジャイのキャラを引き立てている。彼のイントロダクション曲といえる「Verithanam」は、ヴィジャイ自身が歌声を披露しており、ファンから喝采をもって受け入れられたし、ARレヘマーンが歌う「Singappenney」は、女子スポーツ選手たちの応援歌になっており、映画全体のテーマを強調している。
「Bigil」は、タミル語映画界のスーパースター、ヴィジャイ主演のマサーラー映画である。基本的には女子サッカーの映画なのだが、その説明だけでは全く不十分なほど、様々な要素が詰め込まれ、それがしかもバランスよく配置されている。タミル語映画としては2019年の最大のヒット作となっているが、それだけのことはある。必見の映画である。