2022年9月23日からZee5で配信開始された「Atithi Bhooto Bhava」は、幽霊が登場するホラーもの映画かと思いきや軽妙な作りで、それでは最近流行りのホラーコメディーかと思いきや、実はかなり直球の純愛映画という、ジャンル横断型映画である。
監督は「Bhavai」(2021年)のハールディク・ガッジャル。キャストは、ジャッキー・シュロフ、プラティーク・ガーンディー、シャルミン・セーガル、ディヴィナー・タークル、プラティマー・カーズミー、プラブジョート・スィン、スィムラン・シャルマーなどである。主演のプラティーク・ガーンディーは「Bhavai」の主演男優、シャルミン・セーガルは「Malaal」(2019年)でデビューした女優である。
時は2021年、舞台はムンバイー。スタンドアップ・コメディアンのシュリーカーント・シロードカル(プラティーク・ガーンディー)は、客室乗務員のネートラー・バナルジー(シャルミン・セーガル)と4年間同棲していたが、毎日喧嘩ばかりしていた。シュリーカーントはネートラーとの喧嘩をジョークのネタにして笑いを取っていたが、同僚のコメディアン、スチャーリター・スィン(ディヴィナー・タークル)は彼の芸風を馬鹿にしていた。 ある晩、バーでしこたま飲んで酔っ払ったシュリーカーントは、帰り道に街路樹の下で立ち小便をする。すると、その街路樹に取り憑いてた幽霊マーカン・スィン(ジャッキー・シュロフ)に声を掛けられる。マーカンはシュリーカーントを「お祖父ちゃん」と呼んでいた。酔っ払っていたシュリーカーントはマーカンを家に連れて帰る。 朝起きて、シュリーカーントは自分が幽霊を家に連れ込んでしまったことに気付く。彼以外にはマーカンの姿が見えなかった。マーカンはダーバーの女主人(プラティマー・カーズミー)に取り憑いて、自分の身の上話をし始める。 マーカンはウッタル・プラデーシュ州マトゥラーの出身のスィク教徒であった。彼は、近所に住むヒンドゥー教徒の娘マンジュー・ヤーダヴ(スィムラン・シャルマー)に恋していた。祖父も彼の恋を応援していた。だが、ホーリーの日、マーカンが愛の告白をする直前に祖父が心臓発作を起こして死に、彼は告白する機会をなくす。マンジューに想いを伝えられないまま彼女の婚約が決まり、マーカンはマトゥラーを出奔する。それが1975年のことだった。マーカンはボンベイにやって来てトラック運転手として働き出す。彼はずっとマンジューを想い続け、独身を貫いた。だが、55歳のとき、街路樹の下で心臓発作を起こして死ぬ。それ以来、5年間、彼は街路樹に取り憑いていたのだった。また、シュリーカーントは彼の祖父の生まれ変わりであった。 シュリーカーントとネートラーは、最期にマンジューに会いたいというマーカンの願いを叶えるため、スチャーリターの自動車に乗ってマトゥラーを目指す。途中、スチャーリターの故郷、マディヤ・プラデーシュ州グワーリヤルにも立ち寄り、彼女の両親や昔の恋人とも出会う。 マトゥラーに着いた彼らは早速マンジューの家を探すが、そこには既に別の家族が住んでいた。手掛かりがなくなってしまったが、ちょうどホーリーの日であり、彼らはクリシュナ寺院を参拝することにする。そこでマーカンはマンジューを見つける。シュリーカーントはマーカンに代わって、45年前に渡せなかったラブレターを読み上げる。マンジューはマーカンの存在に気付き、二人は踊り出す。だが、シュリーカーントが気付くと、マンジューは息を引き取っていた。ホーリーの中で踊る二人は既に幽霊になっていた。それを見たシュリーカーントはネートラーにプロポーズする。
主人公のシュリーカーントとネートラーは、同棲生活4年目のマンネリ気味カップルである。毎日些細なことで喧嘩ばかりしており、結婚の予定も当分なし。ただ、腐れ縁になっていて、別れるわけでもなかった。そんな二人が、一連の出来事を通して、真の愛に目覚めていくというストーリーである。
これだけを聞くと何の変哲もないロマンス映画のように思える。だが、この映画のユニークなポイントは、恋のキューピッドとして、幽霊が登場する点である。幼馴染みのマンジューに想いを伝えられないまま故郷を出奔し、ボンベイでトラック運転手をして生計を立て、独身を貫きながら心臓発作で死んだマーカンは、マンジューという未練を残していたため、そのまま死んだ場所に地縛霊として留まり続けていた。そんな彼が、ひょんなことから彼の縄張りにやって来たシュリーカーントの家に住み着くようになる。
題名の「Atithi Bhooto Bhava」とは、サンスクリット語で「お客さまは幽霊です」という意味である。これは、「お客さまは神様です」という意味のサンスクリット語のフレーズ「अतिथि देवो भवः」をもじったものだ。かつて、家に突然やって来て住み着いてしまった親戚のおじさんを何とか追い出そうと躍起になるコメディー映画「Atithi Tum Kab Jaoge?」(2010年)があったが、序盤の展開から、それと似たタイプのコメディー映画かと推測した。
ところが、マーカンは、住み着いて離れなくなるタイプの困った幽霊ではなかった。彼はシュリーカーントとネートラーに、自分をマーカンに連れて行って欲しいと頼む。彼は成仏する前に一目マンジューに会いたかったのである。二人は彼の恋のキューピッドになる。だが、この旅は同時に、自分たちの関係を見直す機会になった。
ムンバイーからマトゥラーは1,200km以上の道のりである。二人は飛行機で移動しようとしたが、生前にトラック運転手だったマーカンは陸路での移動にこだわる。この制限は、ストーリーを面白くするために無理にはめ込んだと思われる。確かに飛行機で移動してしまっては味気ない。また、二人とマーカンだけの移動ではなく、シュリーカーントの同僚スチャーリターも同行することになる。「Atithi Bhooto Bhava」では主に、シュリーカーントとネートラーの恋愛、そしてマーカンとマンジューの恋愛が語られるが、第三のエピソードとして、スチャーリターとローヒトの恋愛も加わる。
スチャーリターもシュリーカーントと同じスタンドアップ・コメディアンであり、都会的でクールな女性だった。ただ、彼女にも意外な過去があった。学生時代から彼女に何かと親切にしてくれた男性がいたが、彼女は彼をボーイフレンドとは考えていなかった。ムンバイーからマトゥラーに向かう途中、彼女の故郷グワーリヤルに立ち寄る。彼女が実家にサプライズ帰宅すると、そこにはその男性らしき人物がいた。名前はローヒトといった。スチャーリターの実家で彼は仕事をしていた。劇中でパンジャーブ地方に伝わる悲恋物語「ヒールとラーンジャー」が語られるシーンがあるが、そのラーンジャーと似た行動である。結局、スチャーリターとローヒトの間でまともな会話は交わされず、お別れになってしまうが、こういう恋愛の形もあるのだと提示されていた。
マーカンとマンジューの恋愛は、ほとんどファンタジーの域に達している。45年前、マーカンはホーリーの日にマンジューに告白をしようと思い立ち、それが叶わなかった。今回もホーリーの日であった。マーカンはマンジューを探すが、見つかりそうになかった。しかし、クリシュナ寺院に参拝したことで、彼はマンジューの姿を見つける。マーカンは45年越しに、しかも死後に、マンジューに愛の告白をする。そしてマーカンの魂と共に踊る。愛は永遠に不滅なのだということが彼らの恋愛から雄弁に語られる。もちろん、この二人には、マトゥラー地方に伝わるラーダーとクリシュナの恋愛譚が重ね合わせられている。
ムンバイーからマトゥラーの旅は、シュリーカーントとネートラーの関係にも多大な影響を及ぼした。特にシュリーカーントにとって、愛とは何か、覚醒の旅になった。この旅行の前には、彼のネートラーに対する愛情表現に感情がこもっていなかった。だが、マーカンとマンジューの時空を越えた恋愛を目の当たりにし、彼は心からネートラーにプロポーズをすることができた。
現代の若者の恋愛と昔の恋愛とを比較する構造は、イムティヤーズ・アリー監督の「Love Aaj Kal」(2009年)と共通するものがある。「Atithi Bhooto Bhava」では、幽霊を登場させた点がユニークだ。
ただ、シュリーカーントがマーカンの祖父の生まれ変わりという設定を入れる必要があったのか疑問である。マーカンの祖父の生まれ変わりが、マーカンの幽霊が取り憑いていた街路樹に立ち小便をするというのはあまりに偶然が過ぎる。別にこの二人の間に前世の因縁を付けなくてもストーリーは何とか成り立ったはずである。
ベテラン男優ジャッキー・シュロフは今回、スィク教徒の幽霊役をコミカルに演じており、おいしいところを取っていっていた。とはいえ、若い主演二人、プラティーク・ガーンディーとシャルミン・セーガルも好演していたといえるだろう。
「Atithi Bhooto Bhava」は、ホラーとコメディーとロマンスの要素を掛け合わせた映画であるが、この中では圧倒的に純愛映画という要素が強い。同棲をする若いカップルが昔ながらの純愛に触れることで真の愛に目覚める内容である。幽霊役のジャッキー・シュロフ以外、スターパワーがない映画ではあるが、涙なくしては観られない感動作であり、隠れた名作だ。