ここ最近のヒンディー語映画を観ていると、劇中に登場人物が飲酒や喫煙をするシーンがあると、右下などに「飲酒/喫煙は健康に有害です」という注意書きが表示される。これは映画の検閲を行う中央映画認証局(CBFC)が映画の作り手に表示を求めているものである。この点からも容易に推測されるように、インド社会は飲酒や喫煙を規制している。
とは言っても、日本と比較した場合、喫煙の規制はインドの方が緩いように感じる。一方、飲酒の規制はインドの方が圧倒的に厳しい印象がある。日本社会では喫煙者の肩身が非常に狭くなっているが、飲酒はどちらかというと社会的に許容されている。コロナ禍により多少変化が起こったと思われるが、依然として飲酒は日本文化の一部だと考える人は多い。その一方で、インド社会では気軽に飲酒ができるスペースが限られている。
今回はヒンディー語映画と飲酒について解説したい。
インド社会と飲酒
インドは多様な国であり、酒に対する価値観も様々である。まずは地域差が大きい。州によって酒類に対する規制の度合いは異なり、飲酒可能年齢もまちまちである。早い州では18歳、遅い州では25歳が飲酒可能年齢になる。元々ポルトガル領だったゴア州などは酒に関してかなり寛容であるし、ノースイースト諸州の人々も飲酒に関して日本人に近い感覚を持っている。その一方で、全土で酒類の販売が禁止されているグジャラート州のような禁酒州も存在する。もっとも、祝日や選挙の日にはドライ・デーとなり、酒類の販売や提供が禁止されるのは全国共通だ。ここでは主にヒンディー語圏での飲酒文化に限定して話を進めていく。
18歳 | ゴア州、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ジャンムー&カシュミール準州、ラダック準州、プドゥチェリー準州、ラージャスターン州、スィッキム州 |
21歳 | アンダマン&ニコバル諸島準州、アーンドラ・プラデーシュ州、アルナーチャル・プラデーシュ州、アッサム州、チャッティースガル州、ダードラー&ナガル・ハヴェーリーとダマン&ディーウ準州、ハリヤーナー州、ジャールカンド州、カルナータカ州、マディヤ・プラデーシュ州、マニプル州、メーガーラヤ州、オリシャー州、タミル・ナードゥ州、テランガーナ州、トリプラー州、ウッタル・プラデーシュ州、ウッタラーカンド州、西ベンガル州 |
25歳 | チャンディーガル準州、デリー、マハーラーシュトラ州、パンジャーブ州 |
禁酒 | ビハール州、グジャラート州、ラクシャドイープ準州、ミゾラム州、ナガランド州 |
また、社会階層によっても飲酒に対する考え方は全く異なる。特に西洋文化に慣れ親しんでいる上流階層では飲酒は社交に必須の嗜みと考えられている節があり、全くタブー視されていない。上流階級での飲酒文化も除外した方が分かりやすいだろう。
宗教によっても飲酒に対する価値観は異なる。イスラーム教が飲酒をタブー視するのは有名だが、ヒンドゥー教やジャイナ教でも一般的に飲酒は社会悪とされている。一方、酒をよく飲んでいるイメージを持たれている宗教は、キリスト教とスィク教である。確かにキリスト教徒やスィク教徒が多い州では酒屋が多く、酒が大っぴらに飲まれている。
そうなると、ここで話題にするのは、ヒンディー語圏に住む、キリスト教やスィク教以外の中産階級以下に限定される。この地域、このコミュニティー、この階層の人々の間では、一般的に飲酒は堕落だと考えられている。酒を飲む者は善人ではあり得ず、アルコール中毒ともなれば、社会や家族から爪弾きにされるのが常である。特に大半のインド人女性は酒を忌み嫌っている。政治家が禁酒政策を公約にして出馬すると、女性有権者から圧倒的な支持が得られるのが普通である。
日本では何かめでたいことがあったときに酒を飲む習慣があるが、インドではその役割はミターイー(甘い菓子)が担っている。日本で「さあ、ぱーっと飲もうぜ」と言う感覚で、「さあ、口を甘くしようぜ」と言う決まり文句がある。
では、一般的なインド人は酒嫌いかというとそうでもない。女性は別にしても、インド人男性は大抵が酒好きである。ただ、いくら酒好きでも、日常的には酒を飲まず、ハレの日にここぞとばかりにたらふく飲むという生態の人が大半である。そんなこともあって、基本的にインド人は酒の飲み方をわきまえておらず、悪酔いする人が多い。ただ、それとは矛盾するようだが、インドの祝日は「ドライデー」、つまり、酒類の販売や提供が禁止される日に設定される州が多い。酒好きはドライデーの前に酒を買いだめしておくのが常だ。
巷では密造酒の製造や販売も横行している。密造酒の品質は概して粗悪であり、毎年必ず、メチルアルコールなど有害な化学物質が混ぜられた密造酒を飲んで死人が出ている。
ヒンディー語映画に酒が出て来たときには、インド社会特有の酒に対するタブー意識を前提にしておいた方が理解しやすいことが多い。
酒の種類
インドでは酒は大きく2種類に分かれている。インド土着の酒と、外国の酒である。インド土着の酒は法律用語では「Indian-Made Indian Liquor(IMIL)」と呼び、ヒンディー語では「देसी दारू」などと呼ばれることも多い。マフワー(Mahua)、アラック(Arrack)、フェニー(Feni)など、インド各地で伝統的に作られてきた蒸留酒が含まれる。一方、外国から伝わった酒は「Indian-Made Foreign Liquor(IMFL)」と呼んでいる。ビール、ワイン、ウィスキー、ラムなど、国際的に飲まれている酒類はこちらに分類される。
インド人が好きな酒は何かということが時々話題になるが、個人的な好みに加えて、時代によっても違ってくる。例えばビールは、電気が安定せず、冷蔵庫が普及していなかった時代では、キンキンに冷やして飲むことが難しく、あまり普及しなかった。ビールの人気が出たのは、それらの設備が整ってきた21世紀以降だ。ただ、ビールで酔おうとするとコストパフォーマンスが悪く、そういう意味では一般庶民にとってまだまだ高嶺の花である。水などで割って飲めるウィスキーやラムなどのハードリカーの方が安上がりであり、人気だ。
ワインは、インドでは「女性の飲み物」というイメージが強く、男らしさを重視するインド人男性はあまり手を出そうとしない。また、ワインには特に厳しい温度管理が必要であるため、コールドチェーン(低温流通体系)に問題のあったインドでは不利だった。ただ、インドワインの質は年々上がっており、人気も集めている。
ヒンディー語映画と飲酒
いかにインド社会において酒が厳しく規制されているからといって、ほとんどの州では禁酒政策が採られているわけではなく、年齢さえ満たせばインド国民は酒を飲むことができる。また、酒は人格を表現するのに格好のアイテムでもある。そんなこともあって、ヒンディー語映画に飲酒シーンが登場することは多い。
もっとも多いのが、バーやディスコなどでの飲酒である。ヒンディー語映画では、景気づけにアイテムガールがセクシーなダンスを披露するアイテムナンバーが挿入される習慣があるが、酒が出されるバーやディスコがその舞台になるケースは非常に多い。
大学生や若者たちが、友人同士で酒を飲み、悩みを語り合うといったシーンも多い。この辺りは日本人の感覚と非常に近いものがある。ただ、あくまでインドでは酒は社会悪である点は忘れてはならない。ヒンディー語映画をたくさん観ると、目上の人と一緒に気軽に酒を酌み交わすようなシーンは非常に少ないことに気付くだろう。また、女性の飲酒が特にはしたないものとされている以上、女性の飲酒シーンおよび男女が酒を飲むというシーンも少ない。
ヒンディー語映画において、酒飲みといったらこの人というキャラがいる。それは「Devdas」(2002年)の主人公デーヴダースである。デーヴダースは裕福な家庭の出身で、育ちが良く、酒などには手も触れなかった。だが、幼馴染みのパーローが違う男性と結婚してしまったことで自暴自棄になり、悪友の影響もあって飲酒を始め、やがて飲んだくれになってしまう。「デーヴダース」は、恋に破れて飲んだくれになった人のメタファーとしてよく引き合いにだされる。
ヒンディー語映画で酒が使われる典型例は、ダンスシーンの導入だ。特に奥ゆかしいヒロインが誤って酒を飲んでしまい、豹変して踊り出すという展開がもてはやされることが多い。女性は酒を飲まないのが前提で、あくまで誤って飲んでしまうところがポイントである。
大ヒット映画「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年/シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦)では、ヒロインのスィムランが酒に酔って踊り出す「Zara Sa Jhoom Loon Main」というカオスなダンスシーンがあった。
ただし、最近のヒンディー語映画の女性キャラは、何の臆面もなく飲酒をすることも多くなった。時代の変化を感じる。
ヒンディー語映画には、主にダンスシーンの中であるが、「サーキー」と呼ばれる酌女が登場することもある。インドというよりも中東の文化であるが、西アジアの文学がインドに伝わる中でサーキーが詩の中で詠まれるようになり、それが映画にも影響を与えている。ちなみに、女性が酒のお酌をしたりされたりする行為が法律で規制されている州が大半であり、インドで「サーキー」に出会うのは至難の業である。
「Musafir」(2004年)の「Saaki」は、正にサーキーについて歌った歌だ。
一般的に、パンジャーブ人は酒飲みで、グジャラート人は酒嫌いだと考えられている。飲酒に関するこのギャップをうまく笑いのネタにした映画が「Yamla Pagla Deewana Phir Se…」(2018年)だ。禁酒州のグジャラート州から、酒飲みのパラダイスであるダマンまで夜な夜な酒を飲みに出掛ける酒好きの女医も登場する。
「Dry Day」は、アルコール中毒者が禁酒をワンイシューに掲げて選挙に立候補するという破天荒な風刺映画である。インド社会において飲酒がどのように扱われているのかが、ステレオタイプではあるが、コンパクトにまとまっており、インドの飲酒について知ろうと思った人には絶好の教材になっている。