米国の通信社ブルームバーグが2022年7月1日付けの記事で、インドの映画産業の現況を紹介していた。ヒンドゥスターン・タイムズ紙では「Bollywood now threatened by another movie-making powerhouse(ボリウッドは今、別の強大な映画産業の脅威にさらされている)」と題されていた記事である。
その内容は、今までこのブログで取り上げ分析してきた内容とほとんど同じで、目新しい内容には乏しいが、ラージャマウリ監督のインタビューを軸にして、よくまとまった記事になっている。記事の内容の要点をまとめると以下のようになる。
- 長年、インド映画の代表だったヒンディー語映画(ボリウッド)が不調である一方、南インド映画が好調で、いくつかの作品はインド国外でもヒットになっており、パワーシフトが起こっている。
- OTTプラットフォームの普及が南インド映画のファン拡大に貢献している。ヒンディー語映画は都市在住教養層向けの映画に特化しすぎてファンを失っている。
- 南インドのヒット映画は一様に男性中心的かつ女性差別的であり、このトレンドが社会に与える悪影響を不安視する声もある。
- インド映画の市場規模は中国や米国の後塵を拝しており、コンテンツに対する国際的な評価の点でも韓国映画に及んでいない。インド映画が世界の観客から受け入れられるようになるのはまだ厳しい。
以下、全文を翻訳して掲載する。
インド国内にボリウッドの強力なライバルが出現した。それは、特徴的なダンスや豪華絢爛な結婚式シーンで知られるヒンディー語映画産業よりもさらに多作で、派手で、より多くの興行収入を稼いでいる。 南インド発の新しいジャンルの映画、すなわち、大予算を掛けて作られた壮大かつ大袈裟な作りの、時には中毒性のある男らしさとグロテスクな暴力が盛り込まれたアクション映画が、240億ドルのメディア・エンターテイメント市場を徐々に支配しつつあり、場合によっては、インド国外にもその名を轟かせている。テルグ語やカンナダ語などの地域言語で撮影されてはいるものの、吹替版を上映する映画館や字幕付きのストリーミング・プラットフォームに何百人もの観客を集めている。 その先駆けとなったのが、1920年代を舞台にし、英国植民地主義者と戦う2人のフリーダムファイターの物語「RRR」だ。「The Number」によると、3月の公開以来、全世界で1億5千万ドルもの興行収入を記録し、ローリングストーン誌などの米誌はこの映画を絶賛している。2015年と2017年に2部作の神話ファンタジー映画「Baahubali」が合計2億9千万ドルの興行収入を上げて大成功したのに続き、「K.G.F.」と「Pushpa」といったアクション映画シリーズが合計2億ドルのチケットを売り上げたと地元メディアが報じている。 この数字は、14億人近い人口を抱えながら、中国や米国の市場規模に及ばないと長い間指摘されてきたインドの映画産業にとって、最高到達点になっている。コンサルティング会社のOrmax Media社は、「トリウッド」として知られるテルグ語映画産業が昨年稼いだ興行収入は約2億1,200万ドルと推定しており、インドの商都ムンバイーを長年拠点としてきたボリウッドの1億9,700万ドルをうわ待ったとしている。 ボリウッドが西洋化し、主に都市部の観客しか引き込めないことから失敗作を連発しているのを横目に見ながら南インド映画産業は成功を味わっており、これは南インドへのパワーシフトが起こっていることを示唆している。 インドのストリーミング・プラットフォームMX Playerのカラン・ベーディーCEOは、「南インドの映画メーカーは、言語に関係なく受けるコンテンツを理解している。いくつかの大ヒット映画を見ると、全てスーパーヒーロー形式の映画だ」と述べている。 ヒット作の連発は、巨大だが価格に敏感な消費者を抱えるインド市場にユーザーを増やすために地元映画メーカーたちにローカルなコンテンツを求めているネットフリックス、アマゾン、ディズニーなどのストリーミング大手にとっていい知らせになっている。アーンスト・アンド・ヤングとインド商工会議所連合会の3月報告書によると、インドのメディア・エンターテイメント産業は今年17%成長して240億ドルに達し、2024年には300億ドルに達するとされている。 豊かな南インドには、熱狂的な映画ファンと何千もの映画館が存在する。この地域は、ボリウッドの基準から見ても通俗的な映画を年間何百本も製作していることでも知られており、しばしば非現実的なヒーローやヒロインが登場する。スターの中には、政治家として成功した者もいる。 新しいジャンルを創造し、インドのエンターテイメントを再定義している奇才、SSラージャマウリは、インドでは前代未聞の7,200万ドルの予算を掛けて「RRR」を撮影した。このような映画の多くには壮大で派手な演出が欠かせず、特殊効果も駆使されている。「RRR」の特徴的な戦闘シーンでは、主人公が重いバイクを持ち上げ、それを棍棒代わりにして悪党をなぎ倒す。 「RRR」の批評でローリングストーン誌は、「なるべく大きなスクリーンで、なるべく多くの観客と共に観るべき映画があるとしたら、これだ」と書いている。だが、「単なる冗長で脈絡のないアドレナリンラッシュ」になる危険性もあると警告している。 ラージャマウリ監督は最近のインタビューで、自分のプロジェクトは財政を圧迫し、しばしば予算を超過すると語っている。このインタビューの前、彼はYouTubeで「もっとも素晴らしい映画ゲーム予告編」を観ていた。彼が大袈裟なスタイルを確立しトップに躍り出たのも頷ける。 トリウッドの本拠地である南インドの都市ハイダラーバードにあるオフィスでラージャマウリ監督は、「当然のことながら映画はヒットしなければならない。そうでなければ皆が大変なことになる」と語った。 ラージャマウリ監督は、過去20年間のキャリアの中で、インドで第4位の話者人口を誇るテルグ語でしか映画を撮っておらず、インド国外ではほとんど知られていなかった。「Baahubali」シリーズでは、ハイダラーバード郊外にある2,000エーカーの高大な敷地とテーマパークから成る世界最大の撮影スタジオ、ラーモージ・フィルムシティーに特注の巨大なセットを作り、600日間かけて撮影を行った。 ラージャマウリ監督によれば、彼のヴィジョンは常に「より大きく、より大きく、より良く」であると言い、ハリウッド映画の「ブレイブハート」、「スパイダーマン」、「スーパーマン」や、1957年公開のテルグ語のファンタジー大作「Mayabazar」からインスピレーションを受けたと語っている。 映画評論家で、MAMIムンバイー映画祭の実行委員長を務めるアヌパマー・チョープラーは、字幕付きのストリーミングが地域言語映画にとってゲームチェンジャーになったと語っている。 「ストリーミングのおかげで、特にテルグ語映画界のスターたちは、自分のテリトリーの外に観客を見つけることができた。まるで皆が突然、目を覚ましたように」と述べている。 チョープラー委員長によれば、南インド映画のこの成功は、ボリウッドのヒンディー語映画が「極度に西洋化」し、70%を占める非都市部在住人口を犠牲にして、都市在住の教養層に焦点を当てた映画作りをしてきた過去20年間の傾向にも助けられた。 「一方、テルグ語映画は、より広範な観客の期待に応えることを止めなかった。ただし、それらの映画は極めて男性中心的で、神話的な力を持った男性ヒーローがスローモーションで戦う一方、女性キャラクターは隅に追いやられることが多い」とも述べた。 チョープラー委員長もまた、映画メーカーたちに、テストステロン値を一段下げるように求める評論家の一人に数えられている。極端に男性的なヒーローが主人公のこれらのヒット作が、既に女性にとって危険な国として悪名高くなっているインドで、カジュアルな性差別や性暴力を煽ることになると、多くの人々が警告している。 テルグ語映画「Pushpa」、カンナダ語映画「K.G.F.」シリーズ、そして比較的少ないものの「RRR」では、有害な男らしさと女性差別が盛り込まれている。暴力が美化されている。男性キャラクターがスクリーン上で女性に言い寄る描写は、他のほとんどの文化圏では、ストーカー行為や誘拐と見なされることが多い。 ラージャマウリ監督は、コンテンツが男性中心的であるとの批判を一蹴し、「ストーリーテーリングとエモーションに重点を置いており、ジェンダーは関係ない」と述べている。 毎年多くの映画が製作されているが、インド映画は、「パラサイト」やネットフリックスの「イカゲーム」のような、数々の賞を受賞した韓国発のコンテンツが持つような世界的なクロスオーバーな魅力を獲得するに至っていない。 ラージャマウリ監督は、「インドではまだそのようなことは起こっていない」と述べ、彼はより広範な世界の観客にアピールするために作風を変えるつもりはないとも付け加えた。「しかし、扉は開かれている。世界の別の場所で、同じ趣向を持った観客を見つけ出すことは、10年前に比べたら遥かに容易になった」とも語った。 インドでの興行収入も、中国や米国に比べたら小さい。中国の470億元(70億ドル)、ハリウッドの45億ドルに対し、昨年のチケット総売上は、パンデミックの影響で3分の1に減少し、わずか4億7千万ドルに留まった。 しかし、チョープラー委員長によると、インド映画が国内の映画館で大成功を収めても、海外の観客に広く受け入れられる可能性は低い。彼女は、低予算で作られ、デジタル配信される作品の方が、世界中で受け入れられる可能性が高いと見ている。 「メインストリームの伝統的なインド映画は、歌と踊り、ファンタジー、色彩、ドラマ、暴力で特徴付けられるが、国際的なコンテンツとしては厳しいだろう。インド映画はユニークなテイストを持っている。西洋の観客はそれを通俗的だと見てしまう」と語っている。
この記事の補足として、もうひとつ南インド映画界に比べてヒンディー語映画界の弱い点を挙げるならば、男性スーパースターが不在であることだ。1990年代を支配した3カーンが2000年代も引き続き人気を維持し、リティク・ローシャンのような新世代のスターも生まれたが、その後が続かなかった。2010年代に頭角を現し、期待の星とされていたスシャーント・スィン・ラージプートも、業界内の見えない抑圧に負け、2020年に自殺してしまった。ランヴィール・スィンやランビール・カプールがかろうじてスーパースターと呼べる位置にいる俳優たちであるが、南インド映画界で人気を博する新世代のスーパースターたちに比べたら、そのファン層は脆弱だ。そうこうしている内に、いつの間にか3カーンも還暦目前で、いい年になってしまった。
手っ取り早くスーパースターを仕立てあげるには、スーパースターの子供でルックスが秀でた者を鳴り物入りでデビューさせるという手段があったのだが、スシャーントの自殺を機にネポティズム(縁故主義)が批判を浴びるようになり、親の七光りがプンプン匂う新人のデビューが諸手を挙げて歓迎されなくなってしまった。かといって、何の後ろ盾もない若者がすんなりとスターになれるわけでもない。
スーパースターを作り上げるには時間が掛かる。果たして既存のスターの中からスーパースターに成長する者が現れるのか、それとも今後、ヒンディー語映画界を担うスーパースターがどこからともなく誕生するのか。スーパースター問題は、ヒンディー語映画界復活の鍵を握る項目のひとつであろう。