21世紀にインド映画は大きな変貌を遂げたが、その大きな原動力のひとつになったのが「マルチプレックス(Multiplex)」である。本サイトでも頻出する用語なので、是非押さえておいていただきたい。
マルチプレックスとは、複数のスクリーンを擁する映画館であり、日本でいう「シネマコンプレックス」「シネコン」のことである。ショッピングモールに併設されていることがほとんどで、最新の映像・音響設備が整備されている代わりにチケット代は非常に高価である。ショッピングモールや映画館の入口ではガードマンが入場者を選別しているため、一時的にお金を持っていたとしても、身なりがみすぼらしいと入れてもらえないことすらある。
「マルチプレックス」の対義語は「シングルスクリーン館(Single Screen Theatre)」になる。日本では「単館」という用語があるが、インドのシングルスクリーン館の訳語としてそのまま当てはめると誤解を招く恐れがある。日本の映画愛好家が「単館」と聞いて思い浮かべるのは、芸術映画やインディーズ映画などを上映する通好みの映画館だからだ。それに対しインドのシングルスクリーン館は、大衆向け映画を上映する場末の映画館である。よって、本サイトでは「単館」とは訳さずにシングルスクリーン館としている。
マルチプレックスとシングルスクリーン館では客層が大きく異なり、上映される映画にも違いがある。マルチプレックスで映画を観る層は富裕層・教養層であり、いわゆる「クラス層(Class)」である。一方、シングルスクリーン館には経済的に立ち後れた「マス層(Mass)」が押しかける(参照)。マルチプレックスでは都会向けのオシャレな映画が好まれる傾向にあり、国内外の英語映画も上映される。それに大してシングルスクリーン館では大衆向けの娯楽映画が掛かることが基本だ。マルチプレックスで映画を鑑賞する層は「マルチプレックス層」と呼ばれ、マルチプレックスでのみ上映されるような映画は「マルチプレックス映画」と呼ばれる。
インド初のマルチプレックスは、デリー南部のPVRアヌパム4(現PVRサーケート)である。オーストラリアのヴィレッジ・ロードショー社の協力の下に1997年に開館した4スクリーン型の映画館だ。それまでインドでは、各映画館にはスクリーンがひとつという固定概念があったため、いくつものスクリーンが併設されたPVRアヌパム4の登場はデリー市民から驚きをもって迎え入れられた。PVRアヌパム4の周辺はマーケットになっており、マクドナルドやベネトンなど、多国籍企業のモダンな店舗が軒を連ねた。映画館と商業施設の相乗効果という点でもPVRアヌパム4は時代を先取っていた。
その後、インド各地の大都市を中心にマルチプレックスが雨後の筍のように建築され、2020年までには全映画館の約3割をマルチプレックスが占めるようになった。マルチプレックスの方がチケット代が高いため、興行収入では全体の半分を占めている。ただし、地域差はあり、ヒンディー語圏ではマルチプレックスの普及が先行して進んだ一方、南インドでまだシングルスクリーン館が多く残っている。
日本ではシネコンの普及により旧来の映画館が潰れ、上映される映画の多様性が失われたため、シネコンは映画愛好家からは評判が悪いことがある。インドでもマルチプレックスの普及がシングルスクリーン館の減少を促進した。だが、映画の多様性には全く逆の効果をもたらした。
昔からインドでは娯楽映画と芸術映画の2種類が平行して作られていたが、映画館で上映されるのは主に前者のみで、後者は国内外の映画祭や上映会などで限定的な観客に向けて上映されるのみだった。シングルスクリーン館で芸術映画が上映されるのは稀で、もしチャンスがあるとしたら、午前9時や10時に用意されたモーニング(Morning)回の枠のみだった。つまり、インドの芸術映画が一般のインド人の目に触れる機会は非常に少なかったのである。
また、インドのシングルスクリーン館は1,000人規模の大人数を収容する巨大映画館であることが多かった。なぜそれほど大きな映画館が造られたのかといえば、大人数を動員できる大衆娯楽映画の上映を念頭にしていたからである。よって、その成り立ちからシングルスクリーン館は芸術映画とは相性が悪かった。
この状況がマルチプレックスの登場により一変した。マルチプレックスは、複数のスクリーンを併設する代わりに、ひとつひとつのスクリーンの客席数は抑えられている。よって、多くの観客の動員を見込めない映画でも上映しやすい環境が整った。また、各スクリーンを有効に稼働させるために多くの映画が求められるようになったことも、従来の娯楽映画とは異なったフォーマットの映画が上映されやすい素地を作った。上映時間の自由度が高まったことも、多様な映画の上映を後押しした。
マルチプレックスが普及するに従い、特にヒンディー語映画界では、新たに誕生したマルチプレックス層に向けた映画作りが盛んに行われるようになった。新しい感性を持った若い映画監督たちも、マルチプレックス普及の波にうまく乗ることができた。21世紀に入り、ヒンディー語映画界では、国際的な洗練された映画が作られ、マルチプレックスで上映され、そして興行的に成功を収める好循環が起こった。21世紀以降、マルチプレックスがインドの映画シーンを激変させたこの期間を、「マルチプレックス時代」と呼ぶことも可能である。
ただし、いくらインドが急速に経済発展したとはいえ、その恩恵を十分に受けられていない巨大な層が依然として存在した。都市部に住む出稼ぎ肉体労働者や農村部に住む農民たちがその代表である。彼らは経済的または社会的問題からマルチプレックスで映画を観ることができず、都会的なマルチプレックス映画の趣向に付いていけず、昔ながらの単純明快な娯楽映画を求めた。
シングルスクリーン館しかなかった時代は、どの社会階層の人もひとつの映画館に集い、ひとつの映画を楽しんでいた。シングルスクリーン館では座席の場所によってチケット代が異なり、1階の一番前の席が一番安く、2階の一番後ろの席が一番高かったが、それでも映画が観客を分断することはなかった。だが、マルチプレックスは残酷にもマルチプレックスで映画を観られない貧困層を切り捨ててしまった。ヒンディー語映画メーカーたちに見捨てられたこの層は、ボージプリー語映画や南インド映画などのいわゆる「地方映画(Regional Film)」に流れていった。
インド映画の発展史において、ハードウェア面の技術革新が映画作りに大きな影響を与えたことは何度かあった。例えばトーキー化がインド映画を言語別に分断し、テレビの普及が映画の大衆化を推し進めた。マルチプレックスの普及もその流れのひとつに位置づけられるものであり、インド映画を語る上で非常に重要なキーワードである。