ラージパール・ヤーダヴは、ヒンディー語映画界を代表するコメディアン俳優として知られており、一般の映画では道化役としての出演がほとんどである。だが、時々主演に起用され、しっかりした演技を見せることがある。彼の主演作「Main Madhuri Dixit Banna Chahti Hoon」(2003年)などは大好きな映画の一本だ。
2022年6月10日からZee5で配信開始された「Ardh(半分)」は、久々のラージパール・ヤーダヴ主演作だ。普段の騒々しい演技を抑え込み、地に足の付いた演技をしている。他に、新人のルビナー・ディライク、ヒテーン・テージワーニーなどが出演している。また、クルブーシャン・カルバンダーが本人役で特別出演している。
ウッタル・プラデーシュ州シャージャハーンプル出身のシヴァー(ラージパール・ヤーダヴ)は、俳優を夢見てムンバイーにやって来た。だが、オーディションを受けてもなかなか採用されず、妻のマドゥ(ルビナー・ディライク)、息子のチントゥーと共に貧しい生活をしていた。いつしか彼は、女装してヒジュラーになり、「パールワティー」を名乗って金銭を稼ぐようになった。そのことはマドゥだけが知っていたが、最近、親友のサティヤ(ヒテーン・テージワーニー)にばれてしまう。サティヤも俳優を目指していたが、とうとうその夢を諦め、仕事を始めていた。 シヴァーは知己のキャスティングディレクター、カブラーに呼ばれ、主演への起用が決まる。シヴァーは大喜びするが、そのときプロデューサーから電話が入り、息子を主演に起用することになったと知らされる。シヴァーは落胆する。 あるとき、シヴァーはクルブーシャン・カルバンダー(本人)が乗った自動車を見つけ、駆け寄る。そして、自分は本当は俳優だと主張する。するとカルバンダーからオーディションに呼んでもらう。オーディションでシヴァーは素晴らしい演技を見せ賞賛を受ける。ところがそれは夢で、シヴァーは道端で目を覚ます。
将来を嘱望された若手スター、スシャーント・スィン・ラージプートの自殺を機に、ヒンディー語映画界に横行するネポティズム(縁故主義)への批判が高まった。そして、有力な映画監督や俳優の子供のみが才能にかかわらずチャンスを与えられる業界の慣行が疑問視されるようになる。スシャーントは映画関係者のバックグランドを持たずに業界に入り、身を立てていた人物だった。彼の自殺は、縁故を持たない若者がヒンディー語映画界では抑圧を受ける現状を浮き彫りにしたのである。
「Ardh」は、そんな時勢に乗って作られたネポティズム批判の映画だ。ただし、かなりオブラートに包んだ批判の仕方をしている。主人公シヴァーが床屋で雑談をしているシーンで、ネポティズムが話題に上る。それに対しシヴァーは、親の七光りなくスターになったシャールク・カーン、アクシャイ・クマール、イルファーン・カーンなどの名前を引き合いに出し、ヒンディー語映画業界にネポティズムはないと主張していた。だが、そのときにスシャーント・スィン・ラージプートの名前も出て来ていた。時代設定は明示されていなかったが、もしスシャーント自殺前という設定であったら、これは逆にネポティズム批判になる。スシャーントはネポティズムによって自殺に追いやられたというのが世間の見方だからだ。
映画で描かれたシヴァーの悲惨な人生そのものがネポティズム批判である。彼は才能ある俳優だったが、身長が低く、容姿も良くなかったことから、損をしていた。オーディションでも相手にしてもらえず、なかなか役がもらえずにいた。貧民街で暮らし、物価高に脅かされながら暮らしている。とうとう息子の学費が払えなくなったことで、彼は俳優を目指すことを止めようと思い始める。
映画の中では2度、そんなシヴァーに朗報が訪れる。だが、どちらも結局は絶望感を増すだけであった。1回目は、キャスティングディレクターに呼ばれ、次回作の主演に決まったと告げられるシーンだ。しかし、プロデューサーが自分の息子を主演にすると言い出したため、彼の主演作はご破算になる。ネポティズムの存在を否定していたシヴァーは、我が身を通してネポティズムを目の当たりにしてしまうのだった。もうひとつは、クルブーシャン・カルバンダーにオーディションに呼ばれるシーンだ。彼の演技は絶賛を受け、遂に苦労が報われたかに思われるが、これは夢というオチだった。
全体を通して、縁故のない者がヒンディー語映画界に飛び込むと悲惨なことになるというメッセージしか受け取れなかった。シヴァーの親友サティヤも「俳優は金持ちしかなれない」とつぶやくが、これが全てであろう。
そんな絶望的な映画だったが、ラージパール・ヤーダヴが「ストラッグル中の俳優」シヴァー役を健気に演じていたこと、そして妻のマドゥとの関係が微笑ましいものだったことなどから、心温まる場面がいくつもあった。また、序盤にはシヴァーが急に女装をし始めるシーンがあり、一体シヴァーは何者なのかと、観客の興味を引きつけることに成功していた。彼は偽のヒジュラーであった。女装して信号などで喜捨銭を集めると儲かることを知ってしまったのである。
1時間半に満たない短い映画だったが、もう少し長めにしてもよかったのではないかと感じる。例えば、クルブーシャン・カルバンダーに起用されたシーンを夢ではなく現実ということにして、その後、偽ヒジュラーをして生計を立てていた彼が一気にスターダムにのし上がるというストーリーにつなげていくのはどうだろうか。もちろん、かつてのヒジュラー仲間たちからは裏切り者として追及されるという展開である。もちろん、そうすることで娯楽映画化し、雰囲気がガラリと変わってしまうのだが・・・。
ちなみに、クルブーシャン・カルバンダーは純粋な俳優であり、過去に監督を務めたことはなかったはずだ。「Ardh」では本人役で出演していたが、俳優ではなく監督として描かれており、変わった配役だと感じた。
「Ardh」は、個性派俳優ラージパール・ヤーダヴ主演のシリアスなドラマ映画である。普段のコメディーを期待してはならない。題名が「半分」を意味することからも示唆されるように、表向きはラージパールは偽ヒジュラーになるという物語だが、実際には2020年頃からヒンディー語映画業界に対して強まったネポティズムへの批判が裏テーマになっている。低予算で地味ながら、なかなかの出来の映画である。