Parzania

4.0
Parzania
「Parzania」

 ここのところ忙しくてあまり映画を観に行けなかったのだが、今日は1日中ネットがつながらなかったこともあり、映画を観てネットがつながるまで待とうと思った。観た映画は、2007年1月26日に公開されたヒングリッシュ映画「Parzania」である。

監督:ラーフル・ドーラキヤー
音楽:ザーキル・フサイン
出演:ナスィールッディーン・シャー、コリン・ネメック、サーリカー、パルザーン・ダストゥール、パール・バルスィーワーラー
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 グジャラート州アハマダーバードに、あるパールスィー(拝火教徒)の家族が住んでいた。サイラス(ナスィールッディーン・シャー)はヒョウキンな映写技師、妻のシェールナーズ(サーリカー)は現実的な妻で、二人の間には空想好きクリケット好きの長男パルザーン(パルザーン・ダストゥール)と、無邪気な長女ディルシャード(パール・バルスィーワーラー)という2人の子供がいた。サイラスの家族は幸せそのものであった。運命の2002年2月28日までは・・・。

  2002年2月27日、ゴードラー事件が発生する。グジャラート州ゴードラーでヒンドゥー教徒の乗った車両が焼き討ちされた、多くの犠牲者が出たのである。それを受け、翌28日、グジャラート州全土で暴動が発生した。アハマダーバードも例外ではなかった。暴徒たちは非ヒンドゥー教徒たちを片っ端から虐殺し始めた。警察は何もしなかったばかりか、虐殺の様子を笑って見ていた。サイラスの家族の住むアパートにも暴徒たちが押し寄せた。その混乱の中、パルザーンが行方不明になってしまう。サイラスとシェールナーズはパルザーンを探し始めたが、警察も政府も何の手助けもしてくれなかった。

 そのときちょうどアハマダーバードにガーンディーを研究しに来ていた米国人アラン・ウェビングス(コリン・ネメック)は、家を失った人々のキャンプに住んでいたサイラスの家族を自分の下宿先に住まわせる。彼は多くの宗教の調和を研究するためにインドに来たが、目の前で凄惨なコミュナル暴動を体験し、多大なショックを受けていた。彼もパルザーンの捜索を手伝うようになる。また、サイラスはパールスィーの神父の助言に従い、9日間の苦行を行うため家を出る。

 一方、グジャラート暴動を調査するための委員会が設置され、犠牲者たちや目撃者たちが証人として呼ばれる。当初、人々は警察や政府から抑圧されており、真実を語らなかった。だが、次第に勇気ある人々が暴徒と警察の悪行を正確に描写し始める。シェールナーズもその一人であった。

 グジャラート暴動から2年後、ヒンドゥー教原理主義を掲げるインド人民党(BJP)は下院総選挙で敗北し、失脚した。だが、パルザーンの行方は今でも分かっていない・・・。

 世界を震撼させたコミュナル暴動の有りのままを、実話に基づき、犠牲となったひとつの家族の視点から描いた作品。宗教を政治の道具にする政治家、市民を守るという義務を無視する警察に対する批判もあったが、最も強力なメッセージは、行方不明の子供との再会への祈りであった。

 2002年2月27日、グジャラート州のゴードラー駅でイスラーム教徒によりサーバルマティー・エクスプレスの車両が焼き討ちされた。その車両に乗っていたのは、ウッタル・プラデーシュ州のアヨーディヤーで行われたラーム生誕寺院関連の式典から帰る途中のヒンドゥー教徒であった(参照)。そして放火したのはイスラーム教徒の暴徒だとされた。犠牲者は58人であった。それを受け、アハマダーバードなど州内の都市でヒンドゥー教徒の暴徒による暴動が発生した。彼らは報復のためにイスラーム教徒を虐殺した。犠牲者は1,000人を越え、約2,500人が負傷した。ゴードラー事件から暴動まで、計画的な虐殺だったとの説もあり、現在も調査が続行中である。ゴードラー事件後のこのコミュナル暴動を一般にグジャラート暴動と呼んでおり、「Parzania」が描写しているのもこの事件である。

 映画のハイライトは、冒頭の虐殺シーンと最後の委員会での証言シーンであった。サフラン色のタスキを身に着けた暴徒たちがサイラスの家族の住むアパートに押し寄せるシーンは壮絶である。次から次へと人が殺されて行き、思わず目を覆いたくなる。ここまでリアルに映像化する必要があったのか、果たして疑問ではあるが、暴力の恐ろしさを観客に伝えるには十分であった。最後の証言シーンは打って変わって言葉によってコミュナル暴動の真実を明らかにしていた。映画を基本的に映像で語るメディアだと定義すると力不足であったが、そのメッセージは強烈であった。

 題名のパルザーニヤーとは、行方不明になった男の子パルザーンが空想していた夢の世界である。チョコレートやアイスクリームでできた世界で、そこには暴力のかけらもない。パルザーンが無事に見つかることと同時に、暴力のない世界を夢見る気持ちが込められていた。

 「Being Cyrus」(2006年)に引き続きナスィールッディーン・シャーはパールスィー役を演じた。茂みに隠れるシェールナーズとディルシャードを見つけ抱きしめたときに漏らす「パルザーン・・・」という溜め息混じりのセリフが最も印象に残った。ナスィールッディーン・シャーを越える存在感を見せていたのは、妻シェールナーズを演じたサーリカーである。彼女は1960年代に子役として映画デビューし、80年代まで活躍した。1988年、カマル・ハーサンとの結婚を機に銀幕から遠ざかるが、「Parzania」でカムバックを果たした。デザイナーとしても有名である。特に終盤のサーリカーの演技は鬼気迫るものがあった。子役のパルザーン・ダストゥールとパール・バルスィーワーラーも、通常のインド映画に出て来る情けない子役とは比較にならないくらい活き活きとした演技をしていた。

 言語は基本的に英語だが、時々ヒンディー語やグジャラーティー語のセリフが字幕なしで入る。最近のヒングリッシュ映画の中では、英語への依存度が高い部類に入る。

 ちなみに、「Parzania」は2007年1月26日に一般公開されたが、映画祭に出品されたのは2005年であり、公式には2005年の映画扱いとなっている。センシティヴな問題を扱っているため、グジャラート州では公開が禁止されている。

 「Parzania」は、一般のインド映画ファン向けの映画ではないが、ドキュメンタリー映画などのシリアスな映画や、インドの政治問題・社会問題に興味のある人にはオススメの映画だ。見終わった後は、インドに住んでいることがちょっと怖くなる。