インド最高の映画監督の一人、マニ・ラトナム監督の最新作「Guru」が本日(2007年1月12日)より公開された。新興財閥リライアンス・グループの創始者ディールーバーイー・アンバーニーの人生をベースにした映画である他、結婚が噂されているアビシェーク・バッチャンとアイシュワリヤー・ラーイの共演作ということでも注目を集めている。
監督:マニ・ラトナム
制作:マニ・ラトナム、Gシュリーニヴァーサン
音楽:ARレヘマーン
歌詞:グルザール
出演:ミトゥン・チャクラボルティー、アビシェーク・バッチャン、アイシュワリヤー・ラーイ、Rマーダヴァン、ヴィディヤー・バーラン、マッリカー・シェーラーワト(特別出演)、サチン・ケーデーカル、マノージ・ジョーシーなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
グジャラート州イダル村に生まれ育ったグルカーント・デーサーイー(アビシェーク・バッチャン)は1951年、大志を抱いてトルコへ渡り、シェル石油で働き始めた。ビジネスのノウハウを身に着けたグルは1958年にインドに戻り、スジャーター(アイシュワリヤー・ラーイ)と結婚して、ボンベイへ渡る。だが、ボンベイのビジネス界は、金持ちと官僚によって牛耳られており、新参者の割り込む隙がなかった。だがグルは諦めなかった。新聞紙「インディペンデント」の編集長マーニク・ダースグプター(ミトゥン・チャクラボルティー)の協力を得てボンベイの閉鎖的な実業界に一石を投じ、新参者への道を切り拓く。こうしてグルは晴れて会社を興すことに成功した。 グルは一般庶民を株主にして資金を集め、ポリエステルの輸入を行うシャクティ貿易会社を設立する。シャクティ社はグルの優れたビジネス感覚により急速な発展を遂げ、次々に新分野に進出してシャクティ・グループを形成する。ところが、金を儲けるためなら手段を選ばないその強引なグルのビジネス哲学に、マーニクは筆の力によって徹底抗戦し出す。マーニクは新聞記者シャーム・サクセーナー(Rマーダヴァン)を反シャクティ・グループの責任者に命じる。シャームはシャクティ・グループを徹底的に取材し、その不正を暴き出すことに努める。 一方、グルとスジャーターの間には双子の女の子が生まれた。また、幼い頃からグルに慣れ親しんでいたマーニクの娘ミーナークシー(ヴィディヤー・バーラン)は、難病に犯されて車椅子での生活を余儀なくされており、余命もあとわずかだった。だが、彼女はシャームからプロポーズを受け、彼と結婚する。 遂にシャクティ・グループは政府に睨まれるところとなり、インディペンデント紙は決定的スキャンダルを報じてシャクティ・グループの息の根を止める。シャクティ・パリワールの株主たちはグルに詰め寄り、政府は委員会を設置してグルに対して訴訟を起こした。グルは脳卒中となり、全身麻痺となるが、それでも負けは認めなかった。グルはスジャーターに支えられながら裁判所に出廷する。グルは、新参者に対して扉を開かない大富豪と政府のやり方に真っ向から反対の声を挙げ、民衆の支持を取り付ける。委員会はグルに対して罰金刑を課すに留まった。 こうしてシャクティ・グループは息を吹き返し、一気にインド一の大企業にまで成長する。
20世紀後半のインディアン・サクセスストーリーを描いているものの、むしろ飛ぶ鳥を落とす勢いの21世紀のインド経済を象徴した愛国主義映画。「インドをいつまでも第三国と呼ばせるな、第一国になって目にもの見せてやろうじゃないか」という強烈なメッセージがひしひしと感じられた。
公式には否定されているものの、「Guru」は明らかにリライアンス・グループの創始者ディーラジラール・ヒーラーチャンド・アンバーニー(通称ディールーバーイー・アンバーニー)の人生をベースにしている。1932年、グジャラート地方のジュナーガルに生まれたディールーバーイーは、16歳の頃にイエメンに渡り、大手石油企業シェルで働き出す。既にその頃から彼はビジネスの才覚を発揮していた。イエメンのリアル通貨が純銀でできていることに目を付けたディールーバーイーは、リアル硬貨を溶かして銀にしてロンドンに輸出し、一瞬にして大金を稼ぐ。10年後にインドに戻ったディールーバーイーは、1966年にボンベイで15,000ルピーの資金を元手にリライアンス・コマーシャル・コーポレーションを設立し、ポリエステルの輸入とスパイスの輸出を始める。ディールーバーイーの資金源は株であった。彼は一般庶民に株を普及させた張本人で、故郷グジャラートを中心にインド中から5万8千人の株主を集めた。ディールーバーイーは豊富な資金力によってどんな危機にあってもリライアンス株の価格の下落を阻止し、逆にそこから利益を生み出して、株式市場の王とまで呼ばれた。創業から40年の内にリライアンス・グループは、石油、ポリマー、ポリエステル、化学製品、小売、通信、電力など様々なセクターを取り扱う一大コングロマリットとなり、フォーチュン誌やフォーブス誌などのビジネス誌の企業ランクにも名を連ねるほどのインド有数の民間企業にまで成長した。2002年にディールーバーイーは死去し、グループは2人の息子ムケーシュとアニルによって分割されてしまったが、リライアンスのブランド名は健在であり、リライアンス・グループの急成長とディールーバーイーの立志伝はインディアン・ドリームの典型として語り継がれている。
金儲けのためなら非倫理的なことにも手を染めたディールーバーイー・アンバーニーの人生を垣間見ると、一時日本を騒がせた堀江貴文(通称ほりえもん)を少し思い出すが、今のところ全く器が違うと言わざるをえないだろう。ライブドアは一般の日本人に株ブームを巻き起こしたようだが、インドでは既に30年以上前にディールーバーイーが株ブームを巻き起こしていた。
「Guru」は、経済大国へまい進するインド全体を励まし、インド国民一人一人に夢を抱くことを伝える映画であると同時に、悪名高きライセンス・ラージ(ライセンス取得がビジネスの全てである経済体制)や、既存権益にしがみつく旧体制の人間たちを痛烈に批判していた。若きグルは序盤で綿商売のライセンスを取るためにそれに立ち向かい、終盤ではシャクティ・グループの会長として様々な規制や税をかけて経済を停滞させる政府に堂々と演説していた。多くの映画のように、夢を見ることだけを伝えるのではなく、夢を実現するためには数々の難関に立ち向かわなければならないこと、そして時には法律を犯し、国家に立ち向かわなければならないことが主張されていた。
今やインドの若者のアイコンとなったアビシェーク・バッチャン。だが、彼には辛い下積み時代があった。国民的英雄アミターブ・バッチャンの息子としての七光りがありながら、出る映画出る映画全てフロップ(失敗作)。一時は相当自信を失っていたようだ。それと関係あるのか、当時恋人だったカリシュマー・カプールとも破局してしまう。だが、そのアビシェークの躍進のきっかけとなったのが、マニ・ラトナム監督の「Yuva」(2004年)であった。マニ・ラトナム監督は、アビシェークに今まで付きまとっていたチョコレートヒーローのイメージを振り払い、破滅の道を突き進む影のある役を演じさせた。多くの人々がアビシェークの変身を絶賛し、以後彼は成功の階段を駆け上がることになる。アビシェークにとって、マニ・ラトナム監督は恩人のようなものだ。そのマニ・ラトナム監督が再びアビシェークを起用し、今度は彼に青年時代から老年時代まで、一人の英雄の半生を演じさせた。若い頃の彼の演技もよかったが、やはり迫力があったのは老年時代のもの。半身不随となりながらも裁判所で演説するときの彼の演技は魂を揺さぶる力があった。元々、セリフをしゃべらなくても目でものを語る力があったため、真の演技力とスターとしてのオーラが加わった今のアビシェークは向かうところ敵なしの状態である。途中、出っ腹を見せるシーンがあったが、あれはおそらく代役の腹であろう。
そしてアイシュワリヤー・ラーイ。「Dhoom: 2」(2006年)の演技は批判されることが多かったが、「Guru」では野心家の夫を支える賢妻を演じ、「Raincoat」(2004年)で到達した自身の最高演技を思わすような素晴らしい演技を披露した。アビシェークとの2ショットも息がピッタリであった。二人が結婚を正式に発表するなら、この「Guru」の上映時以外に絶好のタイミングはない。
実業界の英雄を主人公にした映画であったが、映画中優れたシーンのいくつかは、このカップルの会話ややり取りによるシークエンスであった。グルがボンベイへ向かう直前の駅のシーンは多少ありきたりではあったが美しかったし、まだボンベイに来て間もない頃、グルがスジャーターに夢を語り、スジャーターがグルに現実的な事柄を言って返すシーンは男と女の本質をよく現していた。裁判のシーンにおいて、妻の退出を要請する委員会に対し、スジャーターは「会社の50%は私のもの。夫がどこへ行こうと私は付いて行きます」と言い放って平然とその場に居残るシーンも感動的である。
この映画にはもう一組のカップルが出て来た。シャーム・サクセーナーとミーナークシー(愛称ミーヌー)、つまりマーダヴァンとヴィディヤー・バーランである。二人ともそつなく演技をこなしてはいたが、このカップルのシークエンスは蛇足の印象を受けた。おかげでグルとシャームの関係、グルとミーナークシーの関係もあまり説得力のあるものになっていなかった。シャームとミーヌーは本作の最も弱い部分である。
日本のヒンディー語映画ファンにはあまり名が知られていないが、インド庶民に絶大な人気を誇るミトゥン・チャクラボルティーが重要な役で出演していたのも「Guru」の特徴である。正義を追求し、グルを追い詰めながらも、彼に不思議な愛情を抱く編集長マーニク・ダースグプター(愛称ナーナージー)の存在は、映画に深みを加えていた。グルとナーナージーの関係には、男にしか分からない(と思われる)美学があった。現にスジャーターは二人の奇妙な関係を理解していなかった。ナーナージーがグルの不正を知って社員に怒鳴るシーンはアビシェークに負けない迫力があった。ミトゥンがここまで迫力のある演技ができる俳優だとは思わなかった。
さらに、「セックスシンボル」マッリカー・シェーラーワトがトルコのシーンのミュージカル「Mayya」でアイテムガール出演していた。ストーリーにはほとんど関係ないが、彼女のエロさは確信犯的であった。
映画の本質とは関係ないが、「Guru」のダイアログ全体からは親ヒンディー語主義が感じられた。特に裁判のシーンでは、グルは「私たちは田舎者なのでヒンディー語で話してもらえませんか」と、英語で裁判を進めようとする委員会のメンバーを批判する。ただし、グルもスジャーターもグジャラート出身という設定なので、冒頭のシーンでは多少グジャラート色があった。
グルは少年の頃にトルコへ渡るが、そのトルコのシーンは実際にイスタンブールで撮影され、アヤソフィアやブルーモスクなどの壮麗な歴史的建築物が映し出されていた。ボンベイのシーンではもちろんムンバイーでロケが行われた。この他、映画中よく出て来たのがカルナータカ州バーダーミであった。ちょうど先日行ったばかりだったのですぐに「これは!」と分かった。バーダーミの石窟寺院群、アガスティヤティールタ・タンク、ブータナータ寺院群などがミュージカルシーンやストーリー中に数回出て来た。
音楽はARレヘマーン。マニ・ラトナム監督はレヘマーンにとっても恩人であり、レヘマーンは同監督に一目置いている。よって、マニ・ラトナム監督の映画では彼の最高峰の音楽を聴くことができる。中でも「Tere Bina」はレヘマーンの最高傑作のひとつと言ってもいいだろう。アイシュワリヤー・ラーイの登場シーンで流れる「Barso Re」、ベリーダンス風「Mayya」などもよい。ただ、「Ek Lo Ek Muft」だけは蛇足であった。不必要な挿入であったし、このシーンだけタミル映画っぽい雰囲気で異色であった。
「Guru」は2007年のヒンディー語映画界を占う最初の試金石と言ってもいい作品であったが、その期待を裏切らない傑作であった。これぞマニ・ラトナム、これぞインディアン・ドリーム!そしてアビシェークとアイシュワリヤーのケミストリーにも注目!おそらく興行的にも批評的にも成功するのではないかと思う。