インド人にとって肌の色は非常に重要な身体的特徴である。一般にインドでは肌の色が白いほどいいとされ、黒いほど悪いとされているからだ。
しかも、肌の色は単に美的な優劣に留まらず、カーストの高低と直結することもある。インドの言葉で「カースト」を指す言葉に「वर्ण」があるが、この原義は「色」である。肌の色が白いほどカーストが高く、黒いほどカーストが低いという前提がある。よくいわれるのは、北方からインド亜大陸にやって来た肌の白い人々が、インド亜大陸に元々住んでいた肌の黒い人々を支配し、そのような価値観を植え付けたという説だ。その起源はともあれ、肌の色がカーストの指標になるという考え方は現代まで根強く残っている。
よって、インド人は自分の肌をなるべく白く見せることに余念がない。薬局などには、肌の色を白くするとされる美白クリーム類が売られており、男女問わず人気だが、その効果の程は疑問である。インド人の肌色コンプレックスを刺激する広告に対しては世間からの批判も強い。
大半のインド人は自分の肌の色を気にしているため、決して彼らの肌の色を「黒い」などと軽々しく表現してはならない。一般的な日本人と比べたら彼らの肌の色は黒いと表現せざるをえないのだが、それをストレートに言ってしまうと人間関係が崩壊する恐れがある。「クリシュナ」や「カーリー」など、「黒色」を意味する名前を持っている人も多く、多分生まれたときに肌が黒かったからそう名付けられたんだろうと想像してしまうのだが、それでも「肌が黒い」と口にしてはならない。肌の色は、インド人の前ではほとんどタブーに近い話題である。
映画スターたちの肌の色も、光線や後処理によってなるべく白く見えるように工夫されている。よって、スクリーン以外の場面で彼らの生の姿を見ると、こんなに黒かったのかと驚くことがある。
ちなみに、インド社会に蔓延する肌の色に対する偏見を部分的に取り上げた映画としては、アーユシュマーン・クラーナーとブーミ・ペードネーカル主演の「Bala」(2019年)がある。若年性脱毛症に悩む主人公のバーラーは美白クリーム会社のセールスマンであったが、ヒロインとして色黒の女の子ラティカーが登場する。
肌の色の種類
インドにおいて肌の色は主に以下の4つに分かれている。
- ゴーラー(गोरा) Fair
- ゲーフアー(गेहुआँ) Wheatish
- サーウラー(साँवला) Dark
- カーラー(काला) Black
「ゴーラー」は白人か、白人に近い肌の色をしたインド人に対して使われる言葉だ。男性が「ゴーラー」、女性が「ゴーリー」になる。インド人の目からしたら一般的な日本人も「ゴーラー」「ゴーリー」に含まれる。映画スターでいえば、ニール・ニティン・ムケーシュやカリーナー・カプールなどの肌の色がこのカテゴリーに含まれるであろう。インド人にとっては一番羨ましい肌の色であるが、努力によって手にできる肌の色ではないため、手の届かない雲の上の存在でもある。それ故に褒め言葉としても強力であり、特に女性を「ゴーリー」と表現するのは「美女」と同義になる。
「ゲーフアー」は「小麦色」という意味である。一般的なインド人の中でも肌の色が薄い方の人々をこのカテゴリーに含めることができるだろう。インドの映画スターの大半はこの色をしているといっていい。やはり肌の色の白さはスターの条件のひとつだ。シャールク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーンの3人もこのカテゴリーに当てはめていいだろう。
「サーウラー」の辞書的な意味は「青黒い」「薄黒い」である。女性には「サーウリー」という。「ゲーフアー」が小麦だとしたら、「サーウラー/サーウリー」は同じく穀物の「稗」をイメージした色である。日本人の色彩感覚に従えば「褐色」としてもいいかもしれない。クリシュナ神の別名「シャーム(श्याम/Shyam)」とも関連しているが、それはクリシュナ神の肌の色がこの色だったからである。「黒色」を意味する下の「カーラー」と区別されないこともあるが、ニュアンスの違いは、「カーラー」が悪いイメージがあるのに対し、「サーウラー」にはあまり悪いイメージがないことだ。「黒色」をオブラートに包み肯定的に表現した言葉といってもいいかもしれないが、完全な黒ではないというニュアンスもある。プリヤンカー・チョープラーやディーピカー・パードゥコーンの肌の色をサンプルとして挙げていいのではなかろうか。
「カーラー」は完全なる黒を意味する言葉で、肌の色の文脈では「漆黒」と強調して訳してもいいだろう。女性に対しては「カーリー」になる。黒人の肌の色であり、インド人の肌の色に対して当てはめる際は悪口になる可能性もあるので注意して使わなければならない言葉だ。かつてカリーナー・カプールは「Ajnabee」(2001年)の撮影時に、新人女優ビパーシャー・バスを「काली बिल्ली(黒猫)」と呼んだ。もちろん、この二人の仲は崩壊した。
稗と小麦
インドにおける肌の色の概念を知るのに最適な映画音楽がある。「1982 – A Love Marriage」(2016年)というとてもマイナーな映画があるが、その中に「Main Baajra Nahin Khaungi(私は稗を食べない)」という曲がある。元々はブンデールカンド地方に伝わる民謡で、それを映画向けにアレンジしている。
मैं बाजरा नहीं खाऊँगी
मेरा काला बदन हो जाए
अच्छा तो गोरी
तुझे गेहूँ मँगवा दूँ?
मैं गेहूँ भी नहीं खाऊँगी
मेरा श्यामे शरीर हो जाए
私は稗のローティーを食べないわ
身体が黒くなっちゃう
なら、色白美人さん
君に小麦のローティーを食べさせようか?
小麦のローティーも食べないわ
身体が褐色になっちゃう
「ローティー」は穀物を挽いた粉を焼いて作られるパンで、北インド人の主食である。歌詞の中ではローティーだと明示されていないが、そう補って理解する他ない。女性と男性の掛け合いになっており、女性の方は、稗のローティーを食べたら肌の色が黒色になり、小麦のローティーを食べたら肌の色が褐色になると歌っている。一般的に稗のローティーは焦げ茶色をしており、小麦のローティーは薄茶色をしている。女性は「ゴーリー(色白美人)」と呼びかけられているので、色白のようだ。何となくインド人にとっての「肌色」の分類が分かる歌だ。
Dark Is Beautiful
インド映画界には肌の色の黒い俳優も多いのだが、残念ながら映画業界は基本的にインドに従来から蔓延する「カラーリズム」を助長する価値観を発信しているといわざるをえない。しかしながら、それに対抗するキャンペーン「Dark Is Beatutiful」も起こり、肌の色の黒さを積極的に受け入れ、その美しさを主張する運動も行われている。ナンディター・ダースも色黒の女優だが、このキャンペーンの広告塔になり、インド全国の肌の色が黒い女性たちの心の支えになっている。