歌と踊りを最大の特徴とするインド映画では、ダンスシーンの責任者である「コレオグラファー(Choreographer)」と呼ばれる専門家が起用されるのが常である。たまに「Director of Choreography」ともクレジットされる。「振付師」「振付監督」などと訳すことができる。コレオグラファーは自身もダンサー出身であることがほとんどで、ダンスシーンで踊りを踊る主要キャストやバックダンサーたちの振り付けを担当する。映画全体を統轄する監督や、作曲を担当する音楽監督、そして作詞家と並んで、インド映画業界で非常に重視されている人々である。
インド映画の優れたダンスシーンを観ると分かるが、カメラに映っている人間だけが踊っているのではなく、それを撮っているカメラも踊っている。固定カメラで撮っていることは稀で、ダンスを引き立たせるために、カメラワークやカット割りにも非常に工夫が凝らされている。振り付けのみならず、カメラワークや編集からもコレオグラファーの作風が感じられることがあり、撮影やポストプロダクションの分野にも発言権を持っていると思われる。
実際、バックダンサーとして多くのヒンディー語映画のダンスシーンに出演した経験のある関本恵子さんによると、ダンスシーンの撮影現場を取り仕切っているのは、映画監督ではなくコレオグラファーだという。映画監督は撮影現場にいないか、いたとしてもコレオグラファーの裏で撮影を見守っているくらいであるらしい。
インド映画業界でコレオグラファーの地位が比較的高いこと、そしてカメラの前での踊りのみならず、カメラ自体、また映像の編集にも創造性を発揮していることなどの客観的な証左となりそうなのが、コレオグラファー出身の監督が多いことである。他国の映画界ではあまり見られない現象なのではなかろうか。
コレオグラファー出身の監督として有名なのは、「インドのマイケル・ジャクソン」の異名を持ち、ダンサー、コレオグラファー、俳優としての活躍のみならず、多数の映画も撮っているプラブデーヴァーである。軟体動物のような身のこなしをする超絶ダンサーとしてタミル語映画界で台頭し、すぐにヒンディー語映画界でも名が知られるようになった。「Wanted」(2009年)や「Dabangg 3」(2019年)などの監督である。
初期のプラブデーヴァーの踊りで有名なのは、タミル語映画「Kadhalan」(1994年)の「Mukkabla」と「Urvashi Urvashi」である。コレオグラファーの中には、カメラの前に出て来ない人も多いのだが、プラブデーヴァーについてはとにかく目立ちたがりで、自身の監督作でも必ずといっていいほどカメオ出演して自慢のダンスを披露する。
もちろん、ヒンディー語映画界でも有名なコレオグラファーも何人かいる。女性初のコレオグラファー、サロージ・カーンは、シュリーデーヴィーが「Mr. India」(1987年)で踊った「Hawa Hawai」や、マードゥリー・ディークシトが「Tezaab」(1988年)で踊った「Ek Do Teen」などを振り付けし、いわゆる「ボリウッドダンス」の礎を築いた。
ファラー・カーンも有名な女性コレオグラファーであり、サロージ・カーンと双璧を成す「ボリウッドダンス」の立役者だ。同じ「カーン」姓ではあるが、全く血縁関係ではない。ファラー・カーンは時々俳優として映画に顔を出す他、「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)などの監督も務めている。
他にも、シヤーマク・ダーヴァル、ガネーシュ・アーチャーリヤ、レモ・デスーザ、ヴァイバヴィー・マーチャント、ボスコ=シーザー、アハマド・カーンなどを有名なコレオグラファーとして挙げることができる。
かつてインド映画界でコレオグラファーになる人々には古典舞踊の素養があったことが多かっただろう。プラブデーヴァーもバラタナーティヤムを習っていたことがあるようだ。だが、現在コレオグラファーとして活躍する人々の多くは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」(1983年)以降の世代であり、古典舞踊特有の師弟制度の中から輩出された人材というよりは、マイケル・ジャクソンなどに影響を受けてダンス学校に入校し、ダンサーになった人が増えている印象である。
時代劇などでは古典舞踊の振り付けが必要なダンスシーンもあるが、その際は本物の古典舞踊家がコレオグラファーとして起用されるのが一般的になっている。もちろん、「フィルミーダンス」を下に見る風潮は古典舞踊界に根強いのだが、たとえばカッタクの巨匠パンディト・ビルジュー・マハーラージは、美女が主演するヒンディー語映画の振り付けにはしごく協力的で、「Devdas」(2002年)の「Kaahe Chhed Mohe」などを振り付けした。
近年、ヒンディー語映画の中で差し挟まれるダンスシーンの数が減少していることに伴い、バックダンサーなど、業界内でダンスを生業とする人々が職にあぶれているという話も聞く。コレオグラファーが監督業に進出している背景には、ダンサーのボスとして、若いダンサーたちに仕事とチャンスを与えるために、自らメガホンを取ってダンス中心の映画を送り出している事情があるのかもしれない。