「Jai Bhim」は、2021年11月2日からAmazon Prime Videoで配信開始されたタミル語映画である。題名を直訳すれば「ビーム万歳」になる。「ビーム」とは人名である。だが、この映画に「ビーム」という登場人物はいない。インドにおいて「ビーム」といえばただ一人、ビームラーオ・アンベードカルのことを指す。不可触民出身ながら奨学金を得て米・英・独に留学し、インド帰国後は弁護士となった。不可触民に対する差別撤廃のために一生を捧げ、インド憲法制定にも関わった。独立後のインドにおいて最重要人物である。「Jai Bhim」はアンベードカルの伝記映画ではないが、不可触民問題を取り上げた映画ということで、鑑賞に至った。ヒンディー語吹替版もあるのだが、歌のシーンなどがカットされていたため、オリジナルのタミル語版を英語字幕を頼りに観た。
「Jai Bhim」は、1995年に実際に起こった事件を映画化したものだ。タミル・ナードゥ州にはイルラと呼ばれる指定部族(ST)がいる。彼らはヘビやネズミの捕獲を生業としている。社会の最底辺に位置しており、差別の対象となってきた。映画の題材となったのは、イルラの人々に盗難の濡れ衣が着せられ、拷問中に死亡した事件である。警察が隠蔽しようとしたが、人権派の弁護士がそれをひっくり返し、警察官の逮捕を導いた。
監督はTJニャーナヴェール。主演はタミル語映画界の人気男優スーリヤー。他に、リジョーモール・ジョース、マニカンダン、ラジシャー・ヴィジャヤン、プラカーシュ・ラージ、ラーオ・ラメーシュ、グル・ソーマスンダラム、タミルなどが出演している。
1995年、アティユール。イルラのラージャーカンヌ(マニカンダン)と妻のセンゲーニ(リジョーモール・ジョース)にはアッリという娘がおり、もうすぐもう一人の子供が生まれるところだった。ある日、ラージャーカンヌは地主の家に呼ばれ、ヘビ退治をする。その後、ラージャーカンヌはレンガ工場で働き出す。だが、地主の家の金庫から金品が盗難されたことで、ラージャーカンヌに容疑が掛けられる。ラージャーカンヌの居場所が分からなかったため、まずは彼の兄弟やセンゲーニが逮捕され、拷問を受ける。ラージャーカンヌが見つかると、彼も拷問を受けるが、身に覚えのない盗難だったため、いくら暴行されても金品の場所を言うことはできなかった。 警察は、最後まで拘留されていたラージャーカンヌ、イルタッパン、モサクッティの三人が逃亡したと報告する。センゲーニは、イルラに読み書きを教えていた教師マイトラー(ラジシャー・ヴィジャヤン)の助言を受け、人権派弁護士チャンドル(スーリヤー)に助けを求める。チャンドルは行方不明の三人を見つけ出すため、裁判所に人身保護の訴訟をする。逃亡した容疑者の人身保護を求める裁判は稀で、しかも対象がイルラだったため、注目を集めた。 当初は、逃亡した容疑者の人権保護を訴えるのは無理があると思われたが、チャンドルは1976年のラージャン事件を引き合いに出し、訴状の受理を勝ち取る。警察の弁護は、州法務顧問を務める大物弁護士ラーム・モーハン(ラーオ・ラメーシュ)が担当することになった。ラーム・モーハンは、三人がケーララ州に逃げたことを証言する証人を召喚するが、チャンドルはそれが警察による偽造であることを示す。もう一度捜査がやり直されることになり、ペルマールサーミ警視監(プラカーシュ・ラージ)が担当となる。 ペルマールサーミ警視監とチャンドルは、プドゥチェリー準州でラージャーカンヌの遺体を発見する。ラージャーカンヌはアティユールの警察署で拷問を受けて死に、遺体はプドゥチェリー準州に捨てられた可能性があった。依然として残り二人の行方は不明だったが、マイトラーとセンゲーニは刑務所で彼らを見つけ出す。イルタッパンとモサクッティは出廷して警察の拷問によりラージャーカンヌが死んだことを証言する。ラージャーカンヌの検死結果も彼らの証言を支持するものだった。こうしてチャンドルは全面的に勝利し、人身保護の裁判は殺人容疑に切り替わり、関わった警察官は逮捕された。そしてセンゲーニ、イルタッパン、モサクッティには賠償金が支払われた。
英領時代、犯罪部族法(Criminal Tribes Act/CTA)が制定され、特定の部族に所属する全員が習慣的な犯罪者として規定された。独立後、この差別的な法律は撤廃されたが、人々の意識の中に犯罪を生業とする部族が存在するという観念は残ることになった。ヘビやネズミなどの捕獲をする仕事をしていた指定部族のイルラも生来の犯罪者として差別的な扱いをされてきた。何か事件があると、警察はイルラなどの部族や低カースト者を犯人に仕立てあげ、刑務所にぶち込んで事件解決としてきたのである。
「Jai Bhim」の物語の起点となっているラージャーカンヌの逮捕もそのような経緯で行われたものだった。窃盗の濡れ衣を着せられたラージャーカンヌとその家族親戚は警察から過酷な拷問を受ける。だが、盗んでいないものを盗んだと言うことは不可能だった。なぜなら罪を認めたとしても、盗んだ金品を出さなければならないからだ。貧しい生活を送るイルラの手元にそんな金品は存在しなかった。
現代に至っても虐げられ続けるイルラの人々を救うために立ち上がったのが、人権派弁護士チャンドルであった。チャンドルは実在の弁護士であり、実名で登場している。「法律は武器だ」という信条を持つチャンドルは、ラージャーカンヌの妻センゲーニを手助けし、行方不明の三人を助け出すため、トリッキーな手段を用いながら裁判を巧みに進めていく。その中でラージャーカンヌの死が明らかになってしまうものの、残りの二人は見つけ出すことに成功する。そして、彼らに凄惨な拷問を加え、ラージャーカンヌを拷問死させた警察官たちの逮捕を引き出す。
「Jai Bhim」は、決してひとつの事件だけに焦点を当てた作品ではなかった。チャンドルは、事件の再捜査を担当することになったペルマールサーミ警視監を、ラージャーカンヌと同様に濡れ衣を着せられた低カーストの人々と引き合わせ、これが氷山の一角であることを強調する。特定のコミュニティーに属しているだけで潜在的な犯罪者と見なされてしまう差別的な社会通念に挑戦すると同時に、杜撰な捜査をする警察への糾弾も行われていた。
題名になっている割にはアンベードカルが全く登場しなかった。だが、映画のエンディングで説明されたところでは、アンベードカルの著作や言葉がチャンドルを勇気づけ、低カースト者のための戦いに役立ったとのことである。
主演のスーリヤーは鉄のように重厚な演技をしており、映画を引き締めていた。絶賛の演技である。他にも、センゲーニを演じたリジョーモール・ジョース、ペルマールサーミ警視監を演じたプラカーシュ・ラージなど、多くの俳優が集中力を持って演技をしていた。俳優たちの演技もさることながら、TJニャーナヴェール監督の類い稀な才能を感じさせられた。
「Jai Bhim」は、社会から生来の犯罪者として差別され続けてきたイルラの男性の拷問死を巡る、実話に基づく法廷ドラマである。主演スーリヤーをはじめ、俳優たちの迫真の演技は素晴らしいの一言であるし、脚本もよく構成されていて飽きの来ない展開だった。必見の映画である。