ボリウッド

 日本もしくは世界において、インド映画を指す呼称として、「ボリウッド(Bollywood)」という言葉がよく普及している。

 インド映画産業の拠点は、「インド映画」で説明した通り、言語ごとにインド各地に分散している。ヒンディー語映画産業はマハーラーシュトラ州の州都ムンバイーを拠点としている。ムンバイーの旧名はボンベイ(Bombay)という。「ボンベイ」の頭文字「B」と、米国の映画都市である「ハリウッド(Hollywood)」を掛け合わせて、「ボリウッド」という言葉が作られた。

 日本および世界の多くの人々は、インド映画全体が「ボリウッド」だと勘違いしているのだが、「ボリウッド」という言葉は、その語の成り立ちから分かるように、ヒンディー語映画産業、もしくはヒンディー語娯楽映画産業のみを指す。インド全体もしくは他地域・他言語の映画産業は「ボリウッド」ではない。

 「ハリウッド」は都市名である。だが、「ボリウッド」は都市名ではない。よって、「ボリウッド」はムンバイーの別名ではない。繰り返しになるが、ムンバイーを拠点とするヒンディー語映画産業を指す。ちなみにムンバイーは「夢の街(City of Dreams)」「マキシマムシティー(Maximum City/最大都市)」「マーヤーナグリー(Maya Nagri/幻影都市)」などの別名で呼ばれることがあるが、それらの多くは映画産業をイメージしたものだ。

 「ボリウッド」という呼称は1970年代後半にインドのメディアが作り出したとされる。ヒンディー語映画産業の「愛称」と見なされることも多いが、業界内の人間からは必ずしも好意的に受け止められている言葉ではない。この言葉がインド映画産業全体を指すという誤解が世界中に広まってしまっているという理由に加え、ともすれば「ハリウッドの劣化コピー」というイメージを伴い、「蔑称」となり得るからだ。

 ヒンディー語映画界の大御所、アミターブ・バッチャンは、「ボリウッド」という用語に反対する急先鋒である。彼は自身のブログにおいて、「ボリウッド」は「とても有害な言葉(the much maligned word)」とまで言い切っている(2009年4月29日「Day 362」)。「ボリウッド」という用語は、ヒンディー語映画を含むインド映画産業全体を米国映画産業の下位に位置づけかねないからである。

 アミターブは、インド映画はどの国の映画にも劣っていないと固く信じている。彼は2011年に以下のような発言をし、「インド映画はハリウッド映画に劣っていない」と高らかに宣言した(2011年9月11日「Day 1241」)。

Amitabh Bachchan

A larger number of the world population watches Indian movies as opposed to Hollywood – 3.8 billion to 3.2 billion.

世界の人口の内、ハリウッド映画鑑賞者の人口が32億人であるのに対し、インド映画鑑賞者の人口は38億人である。

 もちろん、アミターブの発言内の「インド映画(Indian movies)」とは、ヒンディー語映画を含むインド全体の映画のことを指すと考えていいだろう。

 アミターブのこの意識は、業界内である程度共有されている。ヒンディー語映画界のスターや映画メーカーたちがいかに「ボリウッド」という言葉と距離を置いているのかについては、Netflixのドキュメンタリー・シリーズ「The Romantics」(2023年)の第4話を観るとよく分かる。大半の人々が「ボリウッド」という言葉を聞くと顔をしかめるのである。

 「ボリウッド」以外にも、タミル語映画界を「コリウッド(Kollywood)」、テルグ語映画を「トリウッド(Tollywood)」などと呼ぶ慣習はある。これらの名称についても、業界内の人は面白く思っていないようだ。例えば、「RRR」(2022年/邦題:RRR)のSSラージャマウリ監督もThe Newyorkerのインタビューで以下のような発言をしている。

SS Rajamouli

See, there is a reason why Hollywood is called Hollywood, right? Because there’s a place called Hollywood, where most of the films are made. There is no reason why a Hindi film is called Bollywood, or a Telugu film is called Tollywood. These terms make the films they’re describing sound like cheap imitations.

ほら、ハリウッドが「ハリウッド」と呼ばれるのには理由がありますよね?ハリウッドという場所があり、そこでほとんどの映画が作られるからです。ヒンディー語映画が「ボリウッド」と呼ばれたり、テルグ語映画が「トリウッド」と呼ばれたりする理由はありません。これらの用語は、述べている映画を安っぽい模造品のように思わせてしまうのです。

 「ボリウッド」の使用禁止を喧伝するつもりはないが、Filmsaagarでは、サイトのポリシーとして、ヒンディー語映画産業に従事する人々の意向を尊重し、特別な場合を除き「ボリウッド」という呼称は用いず、「ヒンディー語映画」「ヒンディー語映画界」「ヒンディー語映画産業」などを使用することにしている。一方、「インド映画」といった場合は、アミターブのブログと同様に、ヒンディー語映画のみならず、インド全体の映画のことを指すと考えて欲しい。

 ちなみに、業界内部では、ヒンディー語映画界は一言で「インダストリー(the Industry)」と呼ばれることが多い。